これは私が学部生の頃に先生から伺ったお話なのですが、先生が東大の修士一年の頃ですか、奥平俊六先生(現、大阪大学名誉教授)とアメリカ横断旅行をされたという。
そうですね、アメリカを一周しましたね。あれは1979年の2月末から4月にかけてですかね。修士一年の終わりのときですね。一か月半ぐらいかけてアメリカ本土の主要な日本美術コレクションのある美術館を周ったということです。ロサンゼルスから入って、中部を通って、東、西へ飛んで、最後またロサンゼルス。全部飛行機での移動でした。計25回ぐらい飛行機に乗ったんじゃないかな。一回ぐらい落ちるんじゃないかなと言っていましたけど。
すごいですね。全部飛行機ですか。
中部は、カンザスシティ、シカゴ、クリーブランドへ行きました。セントルイスも行くだけ行ったんですよ。日程調整みたいな感じでちょっと寄ったんです。アナーバーのミシガン大学にも寄りましたね。当時は西上実さん(現、京都国立博物館名誉館員)がミシガン大学に留学していて、彼を訪ねたりもしました。3月ということで、シカゴもミシガンも寒かったですね。西上さんは、その後の東海岸への旅程にもお付き合い下さいました。東海岸では、ニューヨークとボストン、またプリンストン大学へ行きましたね。それから帰りに西へ飛んだときに、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルスへ寄りました。
プリンストンは、島田修二郎先生がちょうどご退職になるくらいの時期ですか。
島田先生がプリンストン大学を退職されて、水戸黄門のようにアメリカを漫遊されているという、そのタイミングでもありましたね。偶然、それにも遭遇しまして。メトロポリタン美術館で顧問をされていた方聞先生が、島田先生がいらっしゃるからと昼食にお誘いしていただきました。先生と生でお会いするのは、そのときが初めてでしたね。プリンストンは、いかにもみんな勉強しているなという環境でした。すごく写真資料も充実していたし、立派なところでした。
行く先々で調査はお願いされたんですか。それとも、街の観光だけというところもあったりでしょうか。
大体、主立ったところにはあらかじめ手紙でお願いをしておきました。タイミングとして我々がお邪魔したのは、鈴木敬先生(当時、東京大学教授)のグループが『中国絵画総合図録』のためのアメリカでの作品調査を終えた後ぐらいですね。だから、鈴木先生を頼って、推薦状みたいのを書いてもらえるところはちょっとお願いして。
バークレーも行かれたんですか。
バークレーは行きましたよ。清水義明先生(当時、カリフォルニア大学バークレー校准教授、後、プリンストン大学教授)がいらっしゃった学校に。
ジェームス・ケーヒル先生(当時、カリフォルニア大学バークレー校教授)と清水先生が同時に。
ケーヒル先生は、タイミングとしてはハーバードのほうに講演にいらしていたときだな。だから、あちらでお会いしたかな。The Compelling Image (1982) という本がありますが、あのもとになる講演というのがちょうどハーバード大学で行われていました。あれは大体アメリカ国内に限られますけども、関連する作品を集めて展示した上での講演ですからね。大学附属のギャラリーに行けば実物を見られる。龔賢とか石濤とか※7が出ているわけで、だから眼福でしたよ。アンさんには、そのときにハーバード大学で多分最初に会っているんですよ。アン・モースさんと夫のサミュエル・モースさん、お二人ともまだ大学院生だったと思いますが。 ※7 龔賢(1618~89)、石濤(1642~1707)… ともに中国清時代初期の画家。1979年の2月から4月にかけて、ハーバード大学主催のチャールズ・エリオット・ノートン記念講義にてジェームス・ケーヒル氏により行われた講演The Compelling Image: Nature and Style in Seventeenth Century Chinese Paintingにおいて取り上げられた。
まだ東大留学前のお二人だったということですよね。
そうですよね、ええ。ジョン・ローゼンフィールド先生(当時、ハーバード大学教授)がいらして。アンさんとサムさん以外は学生とお会いするということもなく、考えてみれば、大人の人たちばかり会っていましたね。
今でもこの規模の調査を実行できる時間とお金がある学生は、なかなかいないですよね。これらを全てというのは。
しかも当時だと、連絡手段も手紙ですよね。
手紙です。タイプライターで打ちましたね。海外旅行自体、私はそのときが初めてでした。
旅行中の奥平先生との思い出などございますか。トラブルに見舞われたとか。
トラブルといえば、シカゴで白タクに乗ってしまったというのが唯一の失敗ぐらいですが、そうですね、楽しかったですよ。
ボストン美術館には調査に行かれたんですか。
ボストンはそのときはろくに見ていないんです。というのは、当時のボストン美術館ってアメリカの東博と言われていたくらい、評判が悪くて。東博というところは、今は全然違いますが、昔は研究者に物を見せないということで有名なところだったんです。ボストン美術館というのも、どうもそれに類するところとして、結局、ボストン美術館にはリクエストしなかったんです。とにかく展示室に出ているものをとりあえず拝見しようというだけで行って。
最初のアメリカ旅行で、その後の研究人生を変えるような作品や人との出会いはありましたか。
それは何か色々あると思いますね。有名な人には大体お会いしたような気がするんですけれども。ミシガン大学ではリチャード・エドワーズ教授、カンザスのネルソン・アトキンズ美術館にはマーク・ウィルソンさんと何恵鑑さんがおられました。フリーア美術館にはもちろんアン・ヨネムラさんがいて、当時はまだトマス・ロートン館長でしたかね。メトロポリタン美術館ではジュリア・ミーチさんのお世話になりました。あとは、サンフランシスコのアジア美術館に、角道良子さんという日本人のキュレーターがおられました。また結局、そのときのニューヨークで見たバーク・コレクション※8だった池大雅の屏風(「蘭亭曲水図屏風」、現在メトロポリタン美術館蔵)を中心に修士論文を書いたわけです。 ※8 メアリー・グリッグス・バーク(1916~2012)… ミネソタ州セント・ポール生まれの日本美術コレクター。現在そのコレクションは、メトロポリタン美術館とミネアポリス美術館に分かれて所蔵されている。
それは、バークさんのコンドミニアムで見られたのですか。
そうですね。マンションの一室みたいなところで見せてもらいましたね。大変、どこでも親切にしていただきました。研究者を大事にするといいますか、その頃の日本とは大分違うなと。アメリカは大変フランクで、研究者を歓待してくれる、そういう環境でしたね。カメラなども、大体どこでも自由に撮影できましたよ。
一眼レフを持っていって、フィルムもまだコダクロームとかですか。
エクタクロームか、そうです、そうです。それを持ち帰り、日本で全部現像しました。
物理的なフィルムの量だけでもすごいですよね。
基本的にこの調査で目的としていた作品なりジャンルというのはあったのですか。このときから若冲を狙っておられたのか、それとも、先ほどおっしゃられた大雅だとか。
卒業論文で若冲のことを書きましたから、プライス・コレクション※9はやっぱり見たかったので、この機会にプライスさんのところにお邪魔しました。まだオクラホマ州のバートルズヴィルにあったプライス邸ですね。 ※9 ジョー・D・プライス(1929~)… オクラホマ州生まれの日本美術コレクター。江戸絵画、特に伊藤若冲の優れたコレクションで知られる。2019年、その収集品の一部が出光美術館によって購入された。
この1979年という時期ですと、まだアメリカの美術館が持つ所蔵作品の全貌だったり、物を持っているということは知っているけれども、自分の見たいジャンルの何があるか分からないといったところもあったと思うのですが、その辺りはどうされたのですか。
情報は限られていましたよね。所蔵品目録みたいなのを出している美術館・博物館自体は多くなかったです。だから、そのちょっと前に毎日新聞社から出た『在外日本の至宝』(1979~81年)というシリーズがありますよね。その目録などの資料をもらいました。それから、ずっと前に出た学習研究社の『在外秘宝(欧米収蔵日本絵画集成)』(1969年)とか、出版されているものを参考にして、こういうものがあるんだというのをリスト化したりしましたね。