Interview 02
伊藤若冲・南画・南蘋派
佐藤 康宏(さとう・やすひろ)
1955 年、宮崎県生まれ。東京大学大学院修士課程修了。東京国立博物館学芸部資料課、文化庁文化財保護部美術工芸課を経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授。現在、同名誉教授、博士(文学、東京大学)。著書に『湯女図』(絵は語るシリーズ11、平凡社、1993 年/ちくま学芸文庫、2016 年)、『若冲伝』(河出書房新社、2019 年)、『若冲の世紀』(東京大学出版会、2022 年)等がある。
佐藤先生は2001年に辻惟雄先生、河野元昭先生(当時、東京大学教授、現、静嘉堂文庫美術館館長)、成澤勝嗣先生(当時、神戸市立博物館学芸員、現、早稲田大学教授)と共に、ボストン美術館が分類するところの江戸時代諸派(『調査図録』第15章:洋風画・南蘋派・南画・諸派)の作品を調査されたのですね。
はい。河野先生、成澤さんとその調査をするために行って、辻先生が後から参加されたという、そういう動きだったと思います。
先生は特に南画関係の調書を残されていたと思うのですが、その諸派の調査と、その後に伊藤若冲※1作品の調査が同時に行われたようですね。近世諸派と若冲の調査について、どのように進めたか覚えておられますか。 ※1 伊藤若冲(1716~1800)… 江戸時代中期の京都の画家。曾我蕭白や長沢芦雪らとともに、近年「奇想の絵師」の一人として人気を集めている。
とにかく数だけは沢山あったので、恐らく番号順か何かで機械的に来る日も来る日もたくさん見続けたと思います。河野先生と成澤さんの三人で適当に順番を分けながら。
諸派の作品は、例えば何日ぐらいかけられたのですか。
全体の日程が二週間だったんですよね。週末のお休みを除いて、多分毎日調査していたと思います。
諸派が約200点、若冲が10点くらいあるので、一日当たり相当数見られたということですね。
この調査が始まった頃はとても優雅だったと聞きました。我々は本当に流れ作業的に急いでやっていました。夜のエンターテインメントの時間などもなかった気がします。
複数の先生方と近世絵画の調査をされたということで、近世絵画の場合は特に真贋問題なども発生すると思うのですが、そのあたりは他の先生方と何か作品を前にした議論や意見の相違はあったのでしょうか。
そういう問題というのは起こらなかったですね。恐らく、曾我蕭白※2とかが含まれていたら違っていたかもしれませんが、蕭白については辻先生が御覧になったからいいですと言うので、我々の調査対象からは外れていて、本当にどこにも入らないような諸派が私たちの対象だったので。しかし、当時は大坂画壇の墨江武禅※3とか、中井藍江※4とかあまり知らなかったので、これ誰やねんみたいな人たちがとにかく沢山出てきましたね。あのときほど人名辞典を引きまくったことはなかったです。 ※2 曾我蕭白(1730~81)… 江戸時代中期の京都の画家。ボストン美術館は、伊藤若冲と並ぶ「奇想の絵師」として人気を集める蕭白の世界最大級のコレクションを誇る。 ※3 墨江武禅(1734~1806)… 江戸時代中期の大坂の画家。月岡雪鼎に学び肉筆浮世絵の美人画を得意とした一方、中国絵画に倣った山水画も描くなど、個性的な作品を多く残した。 ※4 中井藍江(1766~1830)… 江戸時代後期の大坂の画家。明治時代初期にフェノロサやビゲローが大阪の山中商会より頻繁に日本絵画を入手したためか、ボストン美術館には近世大坂画壇の作品が数多く所蔵されている。
それらの画家に関する調査というのは、ボストン美術館で行われたのですか、それとも日本に帰ってからでしょうか。
その場でですよ。多分前の段階で、誰々の人名辞典とか買っておいたほうがいいというので、揃えていてくれたんだと思います。それらは本当に重宝しましたね。
学芸室には多くの辞典が並んでおり私も使っておりましたが、なるほど、その際に買われたんですね。