公益財団法人 鹿島美術財団

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  2. 佐藤 康宏 氏 インタビュー

ボストン美術館の若冲を見つめる

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特に若冲と諸派それぞれについて、特に思い入れのある作品などございますか。

佐藤 :

若冲は前に展覧会とかで見たことがあるので、大抵は再見という感じでした。「日出鳳凰図」(図1)というのは、以前にボストン美術館で見せてもらったことがありましたが、調査のときに再見でしたね。今でもどう位置づけたらいいのか、ちょっと悩ましい作品です。
若冲の本当に若いときの作品なんだろうと思いますけれども、署名の内容とか書体とか印章の状態とかというのはすんなりと彼の初期作品に位置づけるのは難しい。絵はいいとして、後で署名を入れたのかとか、あれこれ可能性はあります。そのときは、絵としては本人でいいんじゃないかなという判断はしましたけれども。

図1:伊藤若冲「日出鳳凰図」
(11.6940, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』XIV「曾我蕭白・伊藤若冲」46番

図1:伊藤若冲「日出鳳凰図」
(11.6940, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』XIV「曾我蕭白・伊藤若冲」46番

図2:伊藤若冲「松に鸚鵡図」
(50.1493, Bequest of Charles Bain Hoyt—Charles Bain Hoyt Collection)
『調査図録』XIV「曾我蕭白・伊藤若冲」48番
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若冲の「松に鸚鵡図」(図2)は先生がご論文に使われていると思うのですが。

佐藤 :

ええ、そうです。これは鹿島調査の前にも、一応見たことはあったと思いますが。

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これはホイト・コレクション※5で、寄贈者の意向で残念ながら日本では展示できない作品なので、おそらく調査されたんだと思います。 ※5 チャールズ・ベイン・ホイト(1889~1949)… ウィスコンシン州ケノーシャ生まれの東洋美術コレクター。遺言により、彼のコレクションはボストン美術館およびハーバード大学附属美術館以外では展示できない。

佐藤 :

ボストンで見せてもらいましてね。ボストン美術館の若冲といえば最初に思いつくのはこれかな。

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若冲の「十六羅漢図」(『調査図録』第14章42番)というのはいかがでしょうか。

佐藤 :

全部本人が描いているわけではなく、弟子の手も入っていると思いますが、一応、基本的に若冲のデザインによるんじゃないですか。

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諸派の方では何かございますか。

佐藤 :

諸派では、岡本秋暉※6の「岩上孔雀図」(図3)とかは立派な絵だなとか思いましたけれども、あまり印象に残るものはないです。河野先生はさすがに責任者としていろいろ挙げていらっしゃいますけれども。 ※6 岡本秋暉(1807~62)… 江戸時代末期の江戸の画家。大西圭斎より南蘋派の画風を学び、後に小田原藩主大久保家に仕える。特に孔雀の絵を得意とした。

図3:岡本秋暉「岩上孔雀図」
(11.8051, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』XV「洋風画・南蘋派・南画・諸派」159番

図3:岡本秋暉「岩上孔雀図」
(11.8051, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』XV「洋風画・南蘋派・南画・諸派」159番

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ボストン美術館の所蔵品全体では記憶に残っている作品などございますか。

佐藤 :

調査が全て終わった後で御褒美のようにして、何かリクエストをちょっとお見せしましょうかという時間が設けられて、そのときは成澤さんがたしか「王会図屏風」(「韃靼人朝貢図屏風」『調査図録』第8章58番)をリクエストされたんじゃなかったかしら。私もその作品は見たかったので、いい機会でした。南蛮屏風との関係とかが非常に強いものなので、実際に見て、部分の写真も撮影することができましたし。おまけといいますか、御褒美といいますか、その時間はよかったです。そのときに、私自身は蕭白の「龐居士霊昭女図屏風」(図4)をお願いして、これは過去に一度見ていたのですが、ちょっとスライドを撮らせてもらったりしました。

図4:曾我蕭白「龐居士霊昭女図屛風」
『調査図録』XIV「曾我蕭白・伊藤若冲」
1番
図5:2001年、ボストン美術館にて
前列左から:佐藤康宏氏、アン・ニシムラ・モース氏、河野元昭氏、辻惟雄氏
後列左から:ケイト・ラファージ氏、エリン・ベネット氏、岡みどり氏、島優氏(以上、当時ボストン美術館スタッフ)
アン・ニシムラ・モース氏提供
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「龐居士霊昭女図屏風」の前での写真(図5)というのは、その際のものでしょうか。

佐藤 :

そのときです。辻先生が蕭白だという「山水図屏風」(『調査図録』第14章14番)を一点そのときにリクエストされて、私はやっぱり本人じゃなくて、工房作じゃないでしょうかというような、そういうふうな判断を述べたのです。蕭白については1990年に文化庁がボストン美術館で日本美術の展覧会(Courtly Splendor: Twelve Centuries of Treasures from Japan「王朝貴族の美術」展)をやったときに、マニー・ヒックマンさん(当時、ボストン美術館日本美術学芸員)の計らいにより私は大体見せてもらったんですね。蕭白、あるいは蕭白とされるものについては、大きな「雲龍図襖」と「鷹図襖」(『調査図録』第14章3・4番)を除いては大体全部見たんです。その後、辻先生は千葉市美術館で蕭白展(1998年「曾我蕭白」展)をやる前に、伊藤紫織さん(当時、千葉市美術館学芸員、現、尚美学園大学教授)と一緒にボストン美術館に行かれたのだと思います。辻先生の調査が、この『調査図録』の蕭白の章のもとになっているんです。

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先生が「横断する龍――曾我蕭白「雲龍図」」(『美術史論叢』28号、2012年)の御論文にて書かれている、まだマクリだったときの「雲龍図襖」を絨毯のように抱えて運んだというのは、いつのお話でしょうか。

佐藤 :

食堂を通り抜けて運んだというやつですね。それはさらに前で、1982年にI・M・ペイが設計したボストン美術館のウエストウイングがオープンしたときに、日本から研究者を何人か招いてシンポジウムをしたんですよね。その一行に加えてもらった際のことです。「雲龍図」はそのときが初見でした。

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悉皆的に調査する中で、新たに見出された作品、見られた中でこれはといったようなものなどございましたか。

佐藤 :

残念ながら、この調査に関してはそれはなかったと思います。しかし、ボストン美術館のコレクションって、やっぱり系統的に、網羅的に集めてあるなということで感心するところはありました。狩野派とかはそうですよね。もう狩野派の画家だったら、これとこれとこれとこれ、みんな集めるといった感じで、その収集は本当に印象的で、諸派についてもかなり色々と網羅的に収集してあるなというのは感心しました。

髙岸 :

日本や外国に、似たようなコレクションというのはありますか。私は絵巻を拝見したときに、東博の絵巻の模本群とか、東京藝大にある絵巻の模本群と近いなという感じがしたんですけども。

佐藤 :

同様の収集方針のコレクションというのは、ちょっと思いつかないですね。

髙岸 :

かなり独特ということですね。

佐藤 :

そんな感じです。やはり生物多様性みたいのをみんな押さえるという、そんな感じですよね。

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今回の図録でもその志向に基づいて、私の方で諸派の中で系統ごとにカテゴリーを分けてみました。

※5 チャールズ・ベイン・ホイト(1889~1949)…
ウィスコンシン州ケノーシャ生まれの東洋美術コレクター。遺言により、彼のコレクションはボストン美術館およびハーバード大学附属美術館以外では展示できない。
※6 岡本秋暉(1807~62)…
江戸時代末期の江戸の画家。大西圭斎より南蘋派の画風を学び、後に小田原藩主大久保家に仕える。特に孔雀の絵を得意とした。

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