公益財団法人 鹿島美術財団

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  2. 泉 武夫 氏 インタビュー

辻先生からの助言―「王者の仏画」と「パトス」と

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ボストン調査での経験に基づいた若手研究者へのアドバイスなどございますか。

泉 :

今後こういう大型の悉皆調査のチャンスがあるかどうかは分からないけれども、もしあった際には間口を広くしておかないと、作品の判断ができないんですね。最近の学会発表の傾向を見ていると、若い人たちは狙いを定め過ぎていて領域が狭いことが少し心配になりますね。

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専門性を絞りすぎているということでしょうか。

泉 :

そうですね。発表はそれで構わないけれども、そこへ行く前の前提として、主要な作品あるいは時代を広く捉えておくとか、興味をあまり固定しないという姿勢を保持してもらいたいなということは感じていまして。中世をやろうとする人は最近少ないですし、特に桃山時代の人気が低くて、ちょっと寂しいですね。

髙岸 :

少なくなりましたよね。

泉 :

ですよね。まして仏画も少ないんですけれども、中近世絵画をやるときは自分の裾野を広めに持っていただきたいなという希望を持ちます。
 フリーア美術館などは、悉皆調査は終わっているんですよね。

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どうでしょうか。個人的には、アメリカではフリーアがいちばん未調査の作品が残っているように思いますが。

泉 :

大英博物館にも近世仏画が大量にあるんです。ワールドワイドに調査すべきコレクションがまだあるので、そういうチャンスがめぐってきたときには対応できるよう用意しておいてもらうのがいいかなという気がします。

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なるほど。最近アメリカでは仏画や仏教美術を専攻する学生が増えている感じがありますが、海外で活躍する学生、もしくは日本で仏画を研究している学生にご助言をいただけますか。

泉 :

現在、仏画に関しては美術史の領域だけでなく、文学畑と宗教畑とが盛んに相互協力しながら新しく展開しています。そこに美術史も時々はコネクトするのですが、隣の領域の進展具合を気にかけながら、対応できるようにするのがいいかなと思うんです。
 聖徳太子信仰や、春日信仰など、隣の領域の研究もどんどん進んでいるようですね。美術史はとにかく様式だけを基本にしているので、そこはちゃんとしておけばいいんですけれども、今後展開していくときには隣接領域の現状も把握しながら研究してほしいなという気はします。

髙岸 :

聖徳太子に関して言えば、ハーバード大学附属美術館所蔵の「南無仏太子像」について国際共同研究が進んでいますね※7。海外にある作品だからこそ、学際的な研究が展開した側面があると思います。
 ところで、泉先生の学生時代は辻惟雄先生の東北大学在職時に重なっていますよね。 阿部 泰郎/岡部 美香/辻本 謙介/レイチェル・サンダーズ/瀬谷 愛/瀬谷 貴之編『ハーバード美術館 南無仏太子像の研究』(中央公論美術出版、2003年)

泉 :

そうなんです。私が東北大に入ったのが1972年で、教養課程を2年間やって3年生に上がったときには、辻先生が東洋日本美術史研究室におられましたね。そのころ学生たちは、なんとなく二つに分かれていて、一つは辻先生の領域の中で自分が特にやりたい場所を見つけるというグループ。もう一つは、とてもじゃないけれども先生と同じことはできないと言って、それ以外のことをやるグループで、私は後者でした。今考えると、よくもまあ先生の領域外のことを何も知らずに選んだものだと思うのですけれども。先生に言われるがままにやるよりは、「少年よ大志を抱け」といいましょうか、全く違ったことに挑戦するのもいいんじゃないかという気がします。

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先生が仏画を選ばれたきっかけは、何だったのでしょうか。

泉 :

私の場合はいろいろ変遷がありまして。中国絵画をやりたいとか、民藝をやりたいとか、学問についていくのが大変だから陶芸家になろうかとか。4年生になって明恵上人周辺の絵画をやろうと思っていたときに、研修旅行で京博へ行ったら「仏眼仏母像」(高山寺蔵)が出ていて、これはいいなというので、卒業論文の対象に選んだんですね。
 その後どうするか、腹積もりがあったわけではないのですが、卒論の面接のときに辻先生から「次は王者の仏画をやりなさい」と言われて。王者の仏画というのは「釈迦金棺出現図」(京都国立博物館蔵)や「応徳涅槃図」(金剛峯寺蔵)のことなんです。それで最初は「釈迦金棺出現図」をやろうと思ったんですが、集中講義に柳澤孝先生が来られていたので相談したら、「あれは当初と後補の区別をつけるのが難しいし、作品の熟覧も大変だから、別なものにしておいたほうがいいよ」という助言があって、「応徳涅槃図」いうことになりました。そして辻先生のご紹介で、ちょうど京博の修理所で修理をしていた「応徳涅槃図」を閲覧できることになったんです。ボストン調査にも同行してくれた須藤さんと私と、亡くなった松浦正昭さん(のちに東京国立博物館上席研究員、富山大学教授)の3人で物をじかに見られる機会があったので、じゃあ頑張ってやろうかということで、修士論文のテーマに定めました。しかし、修論は散々にひどい出来で、すごく落ち込んで、もうどうしようかという感じではあったんですが。その後、仏画担当の就職先があったので、何とかそのまま続けられたということになります。

髙岸 :

そのころ辻先生はプライスさんをはじめ海外とのお付き合いもあったと思いますが、学生時代に授業でアメリカの話を聞かれたりしましたか。

泉 :

ええ。私が3年生か4年生のときに辻先生はプリンストン大学に半年間集中講義に行っちゃいました。だから卒論指導を受けていないんですよ。その後、おひげをたくわえられるようになり、ネクタイの趣味も変わって。

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アイビーファッションの影響でしょうか。

泉 :

そうかもしれませんね。アメリカでは学生が積極的に質問する。うるさいぐらい質問するんだと。日本の風潮とは全然違うんだぞ、ということはよくお話されていました。あまりにうるさいので、あるとき春画の授業をやったそうですが、そのときはさすがにシーンとなって、みんな固唾をのんでいたというお話は今でもよくされます。

髙岸 :

辻先生の自伝『若冲が待っていた』(小学館、2022年)の巻末に泉先生がエッセイを寄せておられますが、仙台の居酒屋で辻先生に叱られて人生が変わった、というのは大学院に入った後ですか。

泉 :

その場に佐藤道信さんがいたので、大学院の2年目かな。修論はとにかく駄目だったんですよ。冷たい感じで。「応徳涅槃図」だから書くことはいっぱいあるはずなのに、データだけ書いて終わっちゃったんですよ。そうしたら、辻先生から「パトスがない」と言われたわけです。私のゼミ発表の様子をみていて、そう感じておられたのかもしれません。

髙岸 :

冷静にディスクリプション(作品の記述)をしていくスタイルは、柳澤先生をはじめ、仏画研究の王道というイメージがあります。

泉 :

私の論文はそれすらできていなかったわけで。柳澤先生や秋山光和先生(東京大学名誉教授)のディスクリプションというのは、この線の動きはこうで、別の作品と比較するとこうだ、といった評価が入れ込んであるのです。

髙岸 :

泉先生にとって恩師である辻先生がボストンの調査を開始されて、講談社から報告書が2回出ましたが、その後いったん頓挫してしまいました。そして先生は90歳を前にして、執念でこれを何とかしたいということで、ここ5年ぐらい私も御一緒させていただき、新たに中央公論美術出版から刊行の運びとなりました。辻先生とのお付き合いが長い泉先生は、一連の調査プロジェクトをどのように見ておられますか。

泉 :

もし先生がいなければ、鹿島美術財団の援助を得て計画を立ち上げ、進めることはできなかったわけで、そういうパワフルなところは敬服の至りですよね。そして人徳がなかったら周りの人々もついてこないので、それだけの人を引きつける力があって始まったことに驚き、尊敬するわけです。
 当初、辻先生は、豪華図録を含めた『在外日本の至宝』(毎日新聞社、1979~81年)のような目録編と豪華カタログ編を出そうと算段を練っていたようですが、それが立ち消えになってしまった。そのことはずっと気にかけていらっしゃったはずなんですが、まさか再度立ち上げられ、より完全な形を目指されていたというのは知らなかったし、想像もしていなかったんですよ。そのエネルギーたるや頭が下がります。

髙岸 :

まさにパトスですね。

泉 :

パトス、本当にそうですね。

※7…
阿部 泰郎/阿部 美香/近本 謙介/レイチェル・サンダーズ/瀬谷 愛/瀬谷 貴之編『ハーバード美術館 南無仏太子像の研究』(中央公論美術出版、2023年)

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