公益財団法人 鹿島美術財団

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  2. 泉 武夫 氏 インタビュー

ボストンのレストランマップ

髙岸 :

泉先生が東北大学から大阪市立美術館に就職されたのが何年ですか。

泉 :

昭和54年なので、1979年ですね。5年後の84年に京都国立博物館に移りました。前任者は中野玄三さんで、入れ替わりでしたね。ボストンの調査に行ったのは、京博で働き始めて8年目のときでしょうか。

―――

ボストン美術館のアン・モースさんとは、同じ仏画研究者として長年交流されてきたと思いますが、きっかけはいつごろですか。

泉 :

私が大阪市美に就職した2年目、アメリカへ行っていろんな美術館・博物館の仏画を見ることになったんです。それで柳澤孝先生(当時、東京文化財研究所美術部主任研究官)が、アンさんの夫のサム・モースさんに「こういう人間がいるので、貧乏旅行だし、できることがあったらよろしく頼む」という依頼をされていたそうです。それでボストンでアンさんとサムさんに会ってお世話になりました。仏画の調査は栂尾祥瑞さん(当時、ボストン美術館仏教美術研究主任)のもとでやったかなと思います。いずれにしても学生時代ではなくて、就職してからご夫妻と知り合いになったという順番になります。

髙岸 :

そのときはボストン以外にも、メトロポリタン美術館やフリーア美術館へも行かれたのですか。

泉 :

そうです。加えて、サンフランシスコ・アジア美術館にも行きましたね。シカゴは行きませんでしたが、クリーブランド美術館には行きました。まずクリーブランドへ行って、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCを周って、最後にサンフランシスコから帰りました。そのときも1ヵ月ぐらいでしたが、市の美術館なのですんなり出張とはいきませんで、学芸員の先輩方に研修で出せと上に圧力をかけていただいて。年休じゃなくて実習か研修か、そういう扱いで出していただきました。

髙岸 :

なるほど。そしてボストンの鹿島プロジェクトが立ち上がって、第一弾として泉先生が1992年に仏画調査へ行かれたのですね。

―――

ボストンでの空き時間や土日は、アンさんや学芸のスタッフと一緒にどこかに行かれたりしましたか。

泉 :

最初の1ヵ月強の期間はアンさんの最初のお子さんが誕生する前(図10)だったんですよ。出産直前の1週間前ぐらいまで一緒に調査していて、びっくりしました。出産されて、1回目はおしまいだったと思うんです。その後しばらくは育児休養されていますね。

図10:1992年2月、ボストン美術館アジア部門学芸室にてアンさんの第一子誕生前
左端が泉武夫氏、右から3人目、アンさんへのサプライズプレゼント(ベビーカー)の横が須藤弘敏氏
アン・ニシムラ・モース氏提供
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2回目の5月から7月の頃にはもう復帰されたということですか。すごいですね。

泉 :

ちょっとしか休まなかったとあとで聞きました。逞しすぎます。

髙岸 :

ボストン交響楽団へも行かれていたそうですね。

泉 :

何回かは行きました。エリオットホテルという鹿島調査時の定宿で、歩いて行ける場所でしたからね。

―――

ボストンのレストランマップを作られたとか。

泉 :

だいたいはボストン美術館の修復師のジョン・ロービさんから店を聞いて、そこに行って味を確かめて、ここはおいしかったというふうに市販の地図に書き込んでいきました。和・洋・中、いろんなレストランに行きましたね。

髙岸 :

印象に残っているレストランはありますか。

泉 :

あるんだけれども、つぶれてしまったんですよ。スキッパージャックスというシーフードレストランのスチームドクラムがおいしかったんですよ。ノースエンドのリトルイタリーの方にもおいしい店はあったんですけれども、もうないと思います。

―――

そのマップを探したんですが、見つからなくて。

泉 :

壁に貼り付けておいたんですけれども。誰かがはずしたんでしょうか。

髙岸 :

1990年代に現地へ行かれた先生方はそれを参照して、レストランに行かれていたようです。

泉 :

ちゃんと存在していた確証はあるわけですね。

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