これらの調査で見出された、名品や発見などがあればお聞かせください。
江戸狩野で大変な名品だと思ったのは英一蝶※1の「涅槃図」(図1)だな。確か二回目の調査の時だった。日本の研究者の間では存在を全然知られてなかったし、これは大発見だということで 『國華』(第1373号、2010年)に作品紹介の原稿を書いた※2。そうしたら2017年の「ボストン美術館の至宝展」(東京都美術館他)の時に日本に来た。
横谷宗珉※3の軸端がついていてね。彫刻の下絵は一蝶が描いたんだろうけれども。非常に重要なものだなと思って『國華』に掲載しておいた。展覧会のときも、軸端が横から見えるようにケースの脇に小窓を作って展示してあったよ。
京都出身の狩野派の絵師。幼いころ江戸に下り、狩野安信のもとで画事を学ぶ。都市の風俗に目を向けた、軽妙洒脱な画風で知られる。
ボストン美術館では1989年に、“Unlocking the Hidden Museum”と題し、本作を中心に据えた展覧会を開催している。
京都に生まれ江戸に住んだ、近世中期の装剣金工師。英一蝶などの作品を下絵に応用した絵風彫刻を始め、片切彫を得意として因習に囚われない「町彫」の宗家となった。
図1:英一蝶「涅槃図」(11.4221, Fenollosa-Weld Collection)
および横谷宗珉作「獅子図軸端」
『調査図録』IX「江戸時代狩野派」325 番
たしかに、そうでしたね。
それから、狩野探幽※4の「海棠に尾長図」(『調査図録』第9章32番)は名品として既によく知られていたものだな。もう一つ忘れ難いのは、晴川院(狩野養信※5)の「仙境図」(図2)。東博に里帰りした時に詳しい解説が出て(「ボストン美術館 日本美術の至宝」展、2012年)、これが単なる仙境じゃなくて、蕭史と弄玉という仙人を加えた三幅対ということがはっきりして、大変有り難かったんだ。幕末の江戸狩野の、養信の傑作だと思う。日本にあれだけのもの、なかなかないんじゃないかな。当然しかるべき人のために描いたものだと思うけれども、ボストン美術館の作品は伝来がはっきりと分からないんだ。そもそも箱がない場合が多い。日本人だと箱は重要だと思うけれども、アメリカでは捨てちゃったんだろうな(島尾新氏インタビュー※2を参照)。 近世初期の江戸幕府御用絵師であり、鍛冶橋狩野家の祖。祖父・永徳の豪壮華麗な様式に対し、宋元画や雪舟に倣った瀟洒淡麗な作風を興し、その後の江戸狩野派様式の基盤を作った。 江戸幕府御用絵師である木挽町狩野家第九代。号の晴川院の名でも知られる。数多くの中国絵画を鑑定・模写した父・伊川院栄信に倣い、絵巻を中心に古画の模写事業を積極的に行った。
図2:狩野養信「仙境図」(11.6640-6642, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』IX「江戸時代狩野派」166番
円山四条派ではいかがでしょうか。
円山四条派は、円山応挙※6でいえば『調査図録』のカラー図版にもなっている「餝兜図」(『調査図録』第13章1番)と、「龍虎図」(図3)かな。「龍虎図」は佐々木丞平・正子さん夫妻が来て、これはいいって言うので、たしか朝日新聞に載せた。それから長沢芦雪※7では、何と言っても「丹頂鶴図」(『調査図録』第13章12番)かな。洋画風っていうか、何か不思議な作品なんだよね。 近世中期の京都の絵師。はじめ鶴沢派の石田幽汀に画事を学び、後に写生に基づく写実描写を特徴とした独自画風を興し、京都を中心に近代まで続く円山派の祖となる。 近世中期の京都の絵師。円山応挙の高弟だが、円山派の画法に根差しつつ自由奔放な独自の様式を展開したことで知られ、現在では「奇想の画家」の一人に数えられている。
図3:円山応挙「龍虎図」
(11.8498-8499, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』XIII「円山四条派」2番
はい。他に数点しかない画風ですよね。
すごく感動したのは、横山華山※8の「寒山拾得図」(図4)。「カザン」というと渡辺崋山※9のほうが有名なわけだよ。渡辺崋山の「崋」は山冠で書くけれども、若いときは草冠の「華」で書いていたから混同してしまうけれども。横山華山の子孫である横山昭さんと、近世絵画研究会でよく飲みながら華山の話をしていたから、感慨深かったね。 近世後期の京都の絵師。はじめ狩野派に学び、後に岸派の祖・岸駒に師事する。人物や花鳥には円山四条派を取り入れる一方、山水では曾我蕭白の様式を取り入れるなど、幅広い画風を展開した。ボストン美術館には華山とその弟子たちの作品がまとまって所蔵されている。 三河国田原藩の家老も務めた武士であった一方、中国の明清画に影響を受けた南画家としても活躍した。天保十年(1839)に発生した蛮社の獄により蟄居処分となるが、その間に書画会を催し絵を売っていたことが問題視され、藩に迷惑が及ぶのを避けるため天保12年(1841)に自ら切腹した。
図4:横山華山「寒山拾得図」
(11.8423, William Sturgis Bigelow Collection)
『調査図録』XIII「円山四条派」221番
南画・諸派では何かございますか。
岡本秋暉※10「花鳥図押絵貼屏風」(『調査図録』第15章158番)も、ボストン美術館によく入ったなと思って。これはいい秋暉だよ。私が『國華』にデビューした原稿は岡本秋暉だから。文人画では与謝蕪村※11の「柳堤渡水・丘辺行楽図屏風」(図5)だな、何と言っても。 近世後期の江戸の絵師。はじめ南蘋派の絵師・大西圭斎に弟子入りし、後には渡辺崋山とも交友を結ぶ。長崎派に基づくアクの強い花鳥画、特に孔雀の絵を得意としたことで知られる。 近世中期の俳人であり絵師。俳人としても中興俳諧の中心的人物と知られる一方、画家としても池大雅と並び日本南画の大成者として知られる。
図5:与謝蕪村「柳堤渡水・丘辺行楽図屏風」(58.952-953, Frederick L. Jack Fund)
『調査図録』XV「洋風画・南蘋派・南画・諸派」66番
どれもボストン美術館が誇る近世絵画の名品ですね。
そのほかにも色々あるけれども、将来この図録を使って研究が進むのではないかな。特に私の担当した江戸狩野はすごいコレクションで、日本にはあんなものないわけだ。全部を総体的にコレクションしようという、西洋人的な考えが根底にあると思う。どんなものでも何でも集めようと。日本人はそうではなくて、一部をつまみ食いして、おいしいものだけちょっと集めるという形だけれども、彼らは何でもかんでも集めて総体を知ろうとするということがよく分かる。
それから、美術品はやはり所蔵館に来て見てほしいと思っている。貸し出した先だけではなくて。そうすると所蔵品にまつわるストーリーや思い出、歴史がよく分かる。だから「美術品は所蔵館で、地酒はその土地で!!」とよく言っているわけだよ。