公益財団法人 鹿島美術財団

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ボストン美術館の水墨画は不思議と変わったものが多い

髙岸 :

島尾先生が書かれている『ボストン美術館日本美術総合調査図録』(以下、『調査図録』)図版編の解説によると、1993年の冬から春にかけて、一か月間調査のために滞在されたそうですね。

島尾 :

当時、ボストン美術館は東京大学東洋文化研究所の『中国絵画総合図録』の調査や東京国立文化財研究所の調査も含め、基本的に受けないという形になっていて、鹿島美術財団の援助によるこの調査が初めての悉皆的なものでした。より大きく見れば、作品を共同で調査して、データを研究者のあいだで共有できるようにしよう、という気運が広がっていて、そのひとつでもあります。

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水墨画作品の調査は、どのようなかたちで進めていかれたのですか。

島尾 :

水墨画は、作品数が79点と少なかったので、割とゆったりとしたペースで進めていましたね。雪舟関係のものを見たときには、一日数点くらいでした。

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比較的ゆったりとされていたのですね。水墨画の担当は島尾先生お一人で、サブの先生などはおられなかったようですが。

島尾 :

そうですが、途中で福島恒徳さん(現、花園大学教授)と城市真理子さん(現、広島市立大学准教授)が来ましたね。調査が割と簡単だったのは、水墨画を収める箱がほとんど捨てられていたので、附属文書や箱書を記録する必要がなかったんです※2※2… 特に室町時代の水墨画のような落款のない古い作品の場合、箱書や添帖といった附属品に記載される内容(鑑定された画家名や画題、旧蔵者など)が貴重な情報となる。ただしボストン美術館の場合、今から約150年前に日本からアメリカへ船で作品を運ぶ際に容量を減らすためや、西洋の人々にとってより扱いやすいという理由で掛軸から額装へ変更された結果、現在では多くの作品から元箱や附属品が失われている。

図1:祥啓「山水図」
(11.4127, Fenollosa-Weld Collection)
『調査図録』VII「水墨画」16番
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調査された80点弱の作品のうち、特に思い出のある作品についてお聞かせください。

島尾 :

ボストンの水墨画コレクションというのは、こう言ってはなんですが、分厚いものではないんですよ。その代わり「ここにしかない」というものが結構ある。なかでもやはりよかったのは、既によく知られたものだけれど、祥啓※3の「山水図」(図1)。本格的な横物の山水で、しかも墨だけで描かれたものは、これしか残っていません。墨の色がとってもきれいで、複雑な風景をすっきりとまとめているのがいいですよね。京都での修業の成果がよく出ています。それから、一山一寧※4賛の「観音図」(図2)はあまりじっくり見た人がいなかった作品で、水墨画に見えますが、観音の衣の文様は金泥だし、唇には赤、髪には群青、竹の葉には緑などの色も使われています。水墨画と仏画をここまで丁寧に、きれいに融合させたものは珍しい。中国の絵という話もあったのですが、絵の感覚から日本にもらうことにしました。 ※3 祥啓… 室町時代後期の下野出身の画僧で、京にて芸阿弥から学んだ中央の画技を関東画壇へ伝えた。 ※4 一山一寧… 鎌倉時代末に中国・元からの渡来した禅僧。執権北条貞時の帰依を受け、鎌倉の建長寺や円覚寺、京都の南禅寺の住持を務めた。

図2:一山一寧賛「観音図」
(10.82, Gift of Miss Ellen Greenough Parker)
『調査図録』VII「水墨画」49 番

図2:一山一寧賛「観音図」
(10.82, Gift of Miss Ellen Greenough Parker)
『調査図録』VII「水墨画」49 番

あと、拙宗(雪舟の若い頃の名前)の三幅対「三聖・蓮図」(『調査図録』第7章20番)は問題作で、もとからこの組合せではなさそうだし、「拙宗」のはんこもいいのかどうか。ちょうど福島さんたちが来ていたときに調査して、半日ぐらいずっと透過光で見たり、ルーペで拡大したりして、ためつすがめつ見ていたんだけれど、あまりに傷みが激しくて、左右の「蓮」と中の「三聖」の紙が同じかどうかすら判別できない。結局、蓮の方はもっと大きな絵からちょん切ってきたのは確かということ以外はよく分からん、ということで終わってしまいました。
面白いのは、「雪舟流」など弟子筋のものが結構あるんです。楊月※5の「枇杷栗鼠図」(『調査図録』第7章32番)は、普通のものとは画風の違う変わった作品で、雲渓永怡「鍾馗図」(『調査図録』第7章34番)もあるし、等芸「山水図」(『調査図録』第7章38番)や楊富「山水図」(『調査図録』第7章39番)なんて、画家の名前をまず誰も知らないですよね。何でこんなのがあるんだろうって思いました。ボストン美術館は不思議と変わったものが多いんです。
有名な可翁※6の 「対月図」(『調査図録』第7章1番)は、クリーブランド美術館に連れがあるものですが、アンさんに「偽物は偽物と言っていいから」って言われて、「伝」を付けました。 ※5 楊月・等芸・雲渓永怡・楊富… それぞれ室町時代後期の雪舟系の画家。 ※6 可翁… 鎌倉から南北朝時代にかけての画僧。日本最初期の水墨画家とされる。

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なるほど。蒐集されたときは、アトリビューションがもっと有名な画家であったのかもしれないですけれども、結果として面白い物が入っていたという感じでしょうか。

島尾 :

なにしろ箱や付属文書がなくなっているので、そこがちゃんとは追いかけられない。伝称筆者もフェノロサやビゲローの頃の話でしかないので、作品カードに残っている購入の経緯以外、その前はほとんど分かりませんでした。

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おっしゃるように、古い伝来は箱がなくて分からないものも多いですよね。

島尾 :

どうやって集めたのか、収集の方向性というか価値観はよく分からないんです。蔵三※7「瀟湘八景図屏風」(『調査図録』第7章41番)も、ここまでくっきりと八景が分節されている屏風は他にない。文清※8の「山水図」(図3)だって、ほとんど二つしかない真筆の山水のうちの一点です。これは岡倉天心が日本で蒐集した作品で、美術館に入ったのは1905年です。こういうマニアしか知らない画家の逸品がある一方で、なぜか雪村※9のような有名画家のものがありません。そういう意味で、総合的に集めた感じはしないんです。それで、欧米の他の水墨画コレクションに比べると、まとまりとして位置づけるのが難しい。逆に、いまの蔵三や文清のように、明治の時代によくこれに目を付けたな、というものがけっこうあるし、先ほどの楊月のように、ふつうの画風ではない、なかなかのクオリティの絵も含まれている。この時代に蒐集したにしては現在の目で見ての「真筆率」というか「見るべき作品率」の歩留まりは悪くないと思います。もちろん、一部の雪舟みたいにとんでもないものもありますが。 ※7 蔵三… 伝記不詳の画家。近世の狩野派やこれを蒐集したフェノロサらの間では、室町時代中期の画僧で周文に学んだ小栗宗湛と同一視されていた。 ※8 文清… 室町時代中期の水墨画家。山水画の代表作としては、ボストン美術館本の他に、正木美術館所蔵の「湖山図」が知られる。 ※9 雪村… 東国を中心に活躍した、室町時代後期の画僧。雪舟に私淑しながらも、独自の画風を確立した。

図3:文清「山水図」
(05.203,Chinese and Japanese Special Fund)
『調査図録』VII「水墨画」6番

図3:文清「山水図」
(05.203,Chinese and Japanese Special Fund)
『調査図録』VII「水墨画」6番

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今回の室町水墨画の悉皆調査で新たに出てきたものはありますか。

島尾 :

特に新たに出てきたというものはありませんが、やっぱり見直したのは、先ほどの一山一寧の「観音図」ですかね。あとは「雛鷹図」(図4)のような、誰の絵だか分からない作品。印は長柳斎のものというのですが、この人自体がどこの誰だか分からない。でも、鳥を描く細い線がとてもデリケートで、淡い色とあいまっていい雰囲気を出しています。こういう「きっちり」としながら「やわらかな」淡彩の絵は、室町時代には珍しい。

図4:伝長柳斎「雛鷹図」
(11.4120, Fenollosa-Weld Collection)
『調査図録』VII「水墨画」73番
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これらボストンの室町水墨画が大きく紹介されたのは、東京国立博物館の「ボストン美術館 日本の至宝」展(2012年)が初めてでしょうか。

島尾 :

そうですね。いまの話とも関係するけれど、ボストン美術館には「室町水墨画」というイメージはほとんどないので。たとえば、雪舟は1956年の大展覧会「雪舟」展(東京国立博物館)にも「猿鷹図屏風」(『調査図録』第7章22番)がきているし、祥啓の山水図(図1)も1987年の「日本の水墨画」展(東京国立博物館)に出ていますが、まとまってというのはないですよね。鹿島調査では、狩野元信の大作は「初期狩野派」(『調査図録』第8章5番)に取られてしまったし。そもそもバブル以降といえばいいでしょうか、室町水墨画は人気がありません。理由はいろいろあって、日本が派手好みになったとか、「東山文化」のステータスの低下とか、漢文・漢詩などが縁遠いものになったとか……。
水墨画全体もそうで、総合的なものは「日本の水墨画」展あたりで終わりでしょうか。そのあとは2002年の「墨戯」展(岡山県立美術館)くらい。雪舟とか雪村とかの人気画家と、コレクションごとの展覧会はありますが、今のように展覧会が採算を重視するようになってからは、客が入らないと思われているようで、なかなかやってくれません。現代の作品を含めて、面白いものはたくさんあるので、どうにかしようと思っているのですが。

※2…
特に室町時代の水墨画のような落款のない古い作品の場合、箱書や添帖といった附属品に記載される内容(鑑定された画家名や画題、旧蔵者など)が貴重な情報となる。ただしボストン美術館の場合、今から約150年前に日本からアメリカへ船で作品を運ぶ際に容量を減らすためや、西洋の人々にとってより扱いやすいという理由で掛軸から額装へ変更された結果、現在では多くの作品から元箱や附属品が失われている。
※3 祥啓…
室町時代後期の下野出身の画僧で、京にて芸阿弥から学んだ中央の画技を関東画壇へ伝えた。
※4 一山一寧…
鎌倉時代末に中国・元からの渡来した禅僧。執権北条貞時の帰依を受け、鎌倉の建長寺や円覚寺、京都の南禅寺の住持を務めた。
※5 楊月・等芸・雲渓永怡・楊富…
それぞれ室町時代後期の雪舟系の画家。
※6 可翁…
鎌倉から南北朝時代にかけての画僧。日本最初期の水墨画家とされる。
※7 蔵三…
伝記不詳の画家。近世の狩野派やこれを蒐集したフェノロサらの間では、室町時代中期の画僧で周文に学んだ小栗宗湛と同一視されていた。
※8 文清…
室町時代中期の水墨画家。山水画の代表作としては、ボストン美術館本の他に、正木美術館所蔵の「湖山図」が知られる。
※9 雪村…
東国を中心に活躍した、室町時代後期の画僧。雪舟に私淑しながらも、独自の画風を確立した。

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