江戸絵画についてもご意見をうかがえますか。
まずは曾我蕭白から。私は鹿島調査以前にも3、4回ボストンに行っておりまして、そのたびにマニー・ヒックマンさん(当時、ボストン美術館学芸員)から蕭白をたくさん見せてもらいましたが、ボストン美術館に残る蕭白画のフェイクを含めた全体を通観するのはこの調査が初めてで非常に面白かった。
なかでも、出来栄えというか、作品の芸術性というか、そういうものから見るとフェノロサ・コレクションの「商山四皓図屏風」(図11)がいちばんでしょうね。白隠※17の精神と永徳の筆法を合わせたような、非常に構成力の強いもので、やはり蕭白の作品の中でいちばん出来のいいものじゃないかと私は思っています。この人はやっぱり水墨画が得意で、こういう作品に彼の真価が最も発揮されていると思うんです。
江戸時代中期の禅僧。禅の民衆化に尽力し、近世臨済禅の中興の祖と称される。禅を説くため諸国を遊歴し、各地に多くの禅画を遺した。
図11:曾我蕭白「商山四皓図屏風」(11.4513-4514, Fenollosa-Weld Collection)
『調査図録』XIV「曾我蕭白・伊藤若冲」7番
鹿島調査では蕭白と弟子の作品を40点ぐらい見たけれども、もともとボストン美術館はこの二倍近く持っていたらしいんです。それを富田幸次郎※18が、「吉備大臣入唐絵巻」を買うときにお金が要るというので売却したらしいんですね。売却した何十点もの蕭白の写真が美術館に残してあって、見せてもらったんだけれども、そうしたらなるほど、富田先生はさすがでみんな偽物なんですね。それだけで「吉備大臣入唐絵巻」を買うお金が貯まったとは思えないので、ほかにもいろいろと売却したらしいのですが、その結果として蕭白が現在は40点ぐらいになっています。でも、そのうち半分の20点くらいがいい作品ということになると、何といったって世界一の蕭白コレクションなんだと思います。そのうちのナンバー1が先ほど「商山四皓図屏風」だし、ナンバー2は「雲龍図襖」(『調査図録』第14章3番)。そして30歳のころに描いた「龐居士・霊昭女図屏風」(『調査図録』第14章1番、佐藤康宏氏インタビューを参照)がやはりいい。30歳のときから蕭白らしさがちゃんと出ていて、彼の画風展開を知る上で基礎になるものです。
蕭白作品は、佐藤康宏さん(東京大学名誉教授)と一緒に見たんですよ。彼は非常に厳しい見方をする人で、これは駄目と言われないかと思ってひやひやしたのに、意外と私と意見が合うんですね。ただひとつだけ、意見が対立した作品が「蝦蟇鉄拐図」(図12)です。佐藤さんは、右幅の蝦蟇の左手がこういうふうに曲がっているのはよくないと言うんです。東京藝術大学にある類品もこうなっているからよくないと言っていましたが、最近そちらはあんまり言わないからよくなったのかもしれないけれども。蝦蟇図は駄目だが鉄拐図は文句ないものだそうで、そうすると、もと二曲の押絵貼屏風のうち右側だけが違うのか、という問題が出てくるんですね。これだけが唯一意見が対立しました。そういうときには、私は調書の所見に括弧をして(辻)と書いています。これは辻の意見であって佐藤さんの意見ではないということです。
京都の蒔絵師の家に生まれる。ボストンへの留学中に岡倉天心と出会い、彼の手伝いとしてボストン美術館にて働き始める。戦前から戦後にかけては、同館の東洋美術部長を務めた。
伊藤若冲※19はいかがでしょうか。 江戸時代中期の京都の画家。曾我蕭白や長沢芦雪らとともに、近年「奇想の絵師」の一人として人気を集めている。
若冲の場合、「文殊普賢・十六羅漢像」(図13)がボストンでいちばん大きな作品です。東京国立博物館でのボストン美術館展のときに、18幅すべてが日本に来たんだけれども、どうも展覧会では印象が薄くなるというか。もちろん若冲筆を疑う理由はどこにもないんだけれども。私もあまり関心を持たないけれども、推すとすればこれをやはり推さざるを得ないということですね。私が思うに、若冲というのは細密な彩色画を本領とする人で、水墨画の鶏なども無数にありますが、感心するものは鹿苑寺大書院の障壁画くらいです。「果蔬涅槃図」(京都国立博物館蔵)も水墨の傑作ですが、若冲としては水墨画は息抜きというか。「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)のような息の詰まる絵を描いていたときに、息抜きとしてバランスを取っていたんじゃないかなと思わざるを得ない。
ビゲローも若冲にはあまり縁がなかったのか、ボストン美術館にはそれほど集まっていないですね。ほかに、「鸚鵡図」(『調査図録』第14章45番)は、千葉市美術館など国内にもいくつか類品があるものです。それから、何度見ても若冲かどうか悩む作品が「日出鳳凰図」(『調査図録』第14章46番、佐藤康宏氏インタビューを参照)です。若冲の初期作と考えられるもので、土佐派の絵にこういう鳳凰が描かれているものを2、3回見たことがあるんだけれども、この絵も狩野派風というより土佐派風なんですよ。いかにもうぶな感じの作品で色もきれいだし、色感もよい。佐藤さんに「若冲にしたいんだが」と言うと、「いいでしょう」ということで氏のお眼鏡にもかなって真筆としました。下手だけれども、若冲筆を否定する点もどこにもない。ただ、問題は「居士藤汝鈞画」という落款で、これが悩ましいというか、「居士」号を使うには少し早過ぎるんじゃないかなと。「動植綵絵」を描く前の作品、いわゆる初期作というのが最近ずいぶん増えて30点ぐらいになっているんだけれども、どう見てもこれが作風からいっていちばん早い作品です。しかし、いちばん最初の作品からすでに「居士」と名乗っていたんだろうかと、そういう問題がいろいろと残ります。そもそも初期作の年代の前後関係はまだあまり研究されていないので、これは誰かがやってくださって、そのときに良いのかどうかを判断されるべき作品だと思いますよ。
江戸絵画では円山四条派でも面白いと思ったものがあって、大西椿年※20の「百亀遊戯図巻」(図14)などですね。亀さんがいろいろ遊んでいるところで、ものすごく面白い。こういうものも日本に持ってきて展覧会で見せてもらいたいと思っています。
江戸時代後期の円山四条派の画家。江戸に生まれ、同地に移り住んでいた応挙の高弟、渡辺南岳より画事を学ぶ。特に亀の絵で人気を博した。