公益財団法人 鹿島美術財団

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浮世絵調査で世界を巡る

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お忙しい調査だったと思いますが、ボストン滞在中の休日はどのように過ごされていたのですか。

浅野 :

一度、ホエールウォッチングをしたんですよ(図11)。メイン州だと思うけど、そのための船があって、みんなで行ったんです。あとは、レッドソックスの野球を見に行ったり、他の美術館をまわったりしましたね。

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夏休みで、野球を観るにも最高の季節ですよね。どこに泊まられたのかは覚えておられますか。

浅野 :

エリオットというホテルで、大きくはないけれどいいホテルでした。ボストン美術館まではホテルから20分ぐらいぶらぶら歩くと着く。

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バックベイという地域ですね。夕食もその周辺でしょうか。

浅野 :

それは鮮明に覚えているけど、泉武夫さんの仏画調査の頃からノートがあるんですよ。近所のレストランマップみたいな。各レストランの所見がいろいろ細かく書き込んであるんです。それを頼りに、今日はここへ行こうなどと言いながら。

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その中で印象に残っているレストランなどありますか。

浅野 :

みんな良かったんですが、僕はボストンでは何といってもシーフードが好きなので、ロブスターです。週一回は必ずロブスターを食べることにしていたね。ロブスターだと、ボストンにリーガルシーフードってあるじゃないですか(図12)。他にも港の方に、ユニオンオイスターハウスというすごく有名な古いレストランが今でもあると思いますが。


図11:1996年8月、メイン州でのホエールウォッチング
浅野秀剛氏提供

図12:1996年8月、Regal Seafood店にて
左手前から時計回りに、アン・ニシムラ・モース氏、ティム・クラーク氏、浅野秀剛氏、小林忠氏、ジョン・ローゼンフィールド氏(ハーバード大学教授)、辻惟雄氏、内藤正人氏、島優氏(ボストン美術館)、エミコ・ウスイ氏(ボストン美術館)
浅野秀剛氏提供
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浅野先生が初めて海外調査へ行かれたのはいつでしょうか。

浅野 :

初めての欧米での調査は1988年で、それ以降、平均すると毎年2、3回は海外調査がありました。

髙岸 :

やはり出版の関係が多かったのでしょうか。

浅野 :

新たにプロジェクトが立ち上がって、その関係もありました。早い時期ではドイツのシュトゥットガルトにあるリンデン美術館に呼ばれました。まだ40歳前後で、千葉市立郷土博物館の学芸員にようやくなったばかりでした。なぜ僕なんですかとリンデン美術館に聞いたら、僕よりも10歳ぐらい年上の部長が、年上の日本の先生を呼ぶと、きちんと教えてくれなかったり報告書も作ってくれない。あなたは若いしそんなこともないだろうから、思い切って決めたんだと。それなら、ちゃんと報告しますと。

髙岸 :

1980年代終わりから90年代にかけて、欧米の美術館は日本美術や浮世絵を調べたいという機運があったということですね。

浅野 :

そうですね。この鹿島プロジェクトもそうですけど、同じ頃に長谷工(長谷川工務店)プロジェクトというものがあり、国際日本文化研究センターが請け負ってヨーロッパの日本美術を調査しましたね※12。3年で3回行きました。日本美術調査プロジェクト、海外からの要請、出版企画などは、1980年代から90年代がいちばん盛んでした。 同プロジェクトの報告書として、以下の6冊が公刊されている。
国際日本文化研究センター海外日本美術調査プロジェクト編『日本美術品図録』プーシキン美術館(『日文研叢書』第1集、1993年)、エルミタージュ美術館(同第2集、1993年)、ナープルステク博物館(同第4集、1994年)、プラハ国立美術館(同第5集、1994年)、フェレンツ・ホップ東洋美術館(同第6集、1995年)、『海外浮世絵所在索引』(同第11集、1996年)

髙岸 :

1995年に千葉市美術館がオープンして、浅野先生も忙しさが以前とは全く変わったのではないですか。

浅野 :

開館記念が喜多川歌麿※13展で、相応の予算がついたため、海外調査もしました。浮世絵は海外の調査が必要であると説得をして、その後、大きな展覧会をやるたびに欧米へ調査に出かけました。 江戸時代後期の浮世絵師。初め鳥山石燕に学び、役者絵や絵本を制作する。後に版元の蔦屋重三郎に見出され、大首絵を創案するなど浮世絵美人画に多大な影響を与えた。

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実際に海外から作品を借りてこられたりしたわけですね。

浅野 :

そうそう。小林先生や僕の世代あたりが海外調査のピークで、ひととおり主要な美術館は誰かが調査をした、という状態になったのが10年ぐらい前かな。ここ十数年はデータベースの時代で、コレクションをウェブ上で公開するようになった。わざわざ行く意味は少しずつ薄れてきましたよね。

髙岸 :

浮世絵を研究したいという若い研究者が浅野先生を訪問してくるというのも、やはり90年代ぐらいからですか。

浅野 :

そうですね。80年代は本当に少なかったね。ティム・クラークさんが日本に来たのが80年代で、結構早いほうでした。その後、少しずつ増えてきました。

髙岸 :

最近は、国文学の研究者も絵入り本に関心をもつ人が増えています。国文学研究資料館がその中心ですね。

浅野 :

そういう風潮が盛んになったのは、ここ20年ぐらいですよね。研究分野がクロスするようになってきている。国文や歴史の専門家と共同研究するという機会が増えました。

髙岸 :

特に海外でシンポジウムが行われる場合、美術史だけというほうが珍しいくらいです。

浅野 :

おっしゃる通りです。ただ、一緒にやってみると、方法論が全くが違うなということがよく分かります。基本的に、国文学は文学の文字資料を第一に考える。歴史学は文書を第一に考えるわけです。我々はどうしても画像を重視する。そうしたことを認識した上で、クロスさせるということが重要だと思います。

※12…
同プロジェクトの報告書として、以下の6冊が公刊されている。
国際日本文化研究センター海外日本美術調査プロジェクト編『日本美術品図録』プーシキン美術館(『日文研叢書』第1集、1993年)、エルミタージュ美術館(同第2集、1993年)、ナープルステク博物館(同第4集、1994年)、プラハ国立美術館(同第5集、1994年)、フェレンツ・ホップ東洋美術館(同第6集、1995年)、『海外浮世絵所在索引』(同第11集、1996年)
※13 喜多川歌麿(?~1806)…
近世後期の浮世絵師。初め鳥山石燕に学び、役者絵や絵本を制作する。後に版元の蔦屋重三郎に見出され、大首絵を創案するなど浮世絵美人画に多大な影響を与えた。

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