福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
『ヤン・ファン・エイク史料集成―宮廷・作品・伝記』は、初期フランドル絵画を代表する画家ヤン・ファン・エイク(1390年頃~1441年)についての、同時代から1800年までの史料(文書記録)に焦点を合わせた著作である。
全体は「史料篇」と「研究篇」から構成され、「史料篇」ではヤン・ファン・エイクに関する重要な史料が日本語に翻訳され、必要に応じて最小限の注釈がつけられている。「史料篇」に収録されたこれらの史料を念頭に置きながら、3人の著者たちによって書かれた論考集が「研究篇」である。
「史料篇」は3部から成る。「ヤン・ファン・エイクの生涯に関する史料」、「ヤン・ファン・エイクの作品に関する史料」、「ヤン・ファン・エイクの歴史に関する史料」の三つである。本書の副題となっている「宮廷」、「作品」、「伝記」の三者は、それぞれこの三つの分類に対応している。
「生涯に関する史料」は、主に、ブルゴーニュ公国の宮廷画家であったヤン・ファン・エイクの宮廷での活動を伝える記録を対象とする。次の「作品に関する史料」には、各作品の付帯史料(署名・年記・銘文など)、および、作品完成以降の関連史料(所蔵品目録、旅行記などの記録)のふたつの種類の史料が収録される。最後の「歴史に関する史料」では、ヤン・ファン・エイク歿後に書かれたさまざまな伝記や批評的文献史料が広く収集され、それらが書かれた歴史的背景などについての解説が付される。
「史料篇」の3つのグループに導かれるように、「研究篇」にも「宮廷」、「作品」、「伝記」に対応する3つの論考が編まれている。今井澄子の「ヤン・ファン・エイクと〈ブルゴーニュ宮廷の部屋付侍従にして画家〉たち」、杉山美耶子の「フランドルの三大都市は彼の芸術で飾られている(マルクス・ファン・ファールネウェイク)――史料が語る画家像と作品」、幸福輝の「カーレル・ファン・マンデルと〈油彩画の創始者ヤン・ファン・エイク〉」の3編の論考において、各著者たちは「宮廷」、「作品」、「伝記」に関わる多くの史料を丹念に読み込みながらヤン・ファン・エイクの三つの重要な側面を論じている。
ヤン・ファン・エイクは西洋近世絵画の端緒を開いた最も重要な画家のひとりである。一般には「中世の秋の画家」とか「北方ルネサンスの画家」と形容されることが多いが、中世とルネサンスの両者が冠されること自体に、すでにこの画家の歴史的な位置が明瞭に示されている。額に装着された状態で制作された作品は、額を含む全体が「絵画作品」であり、時に、その裏面にまで大理石模様が施された作品は、絵画というよりむしろ聖櫃に近いものとなる。たとえ、そこに聖母や聖人が描かれていなくても、ヤン・ファン・エイクの作品には中世のキリスト教世界が結晶している。他方、彼の作品は最初の「油彩画」であり、最初の「近代絵画」でもあった。壁画から独立し、可動性を有し、同時に、貴重な書物のように一個の自立した宇宙となった「タブロー」としての絵画は、ヤン・ファン・エイクとともに生まれた。すなわち、中世と近代のふたつの境界線にあって、その両者に最も深く関わった画家がヤン・ファン・エイクであった。
そのような画家について書かれた厖大な記録を収集し、また、そうした史料の読解から生まれた論考が刊行されることは、ネーデルラント美術にとってなにものにも替え難い重要性をもつばかりでなく、西洋美術そのものの研究にも少なからぬ意義をもつものと言えるだろう。
(文責:幸福輝)
著者・編者・監修 | 幸福輝・今井澄⼦・杉⼭美耶⼦ 編著 |
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判型 | B5 |
ページ数 | 528頁 |
定価 | 18,000円+税 |
ISBN | 978-4-8055-0984-5 |
発行日 | 2024年12月25日 |
出版社 | 中央公論美術出版 |