福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
興味を惹きつける話題には事欠かない。あらゆる分野で関心のある情報を見つけることができる。筆者が専門としている美術のジャンルに限っても、展覧会や図版集には初めて見る作品があり、何度も見ている作品なのにこれまで気が付かなかったことを発見する場合もある。作品の制作過程の通常をたどると、さまざまな主題をテーマにしてモチーフを選び、絵の具などで形が成され、そこにタイトルが付けられて完成を見る。展覧会などの鑑賞の場での作品公開は、美術史の研究者のみならず作品に興味がある人にとっては、テーマが類似する作品を時代や作者、作風などで分類し、作品の構成要素を整理することで、作品独自の特徴を見出す契機になる。この鑑賞体験によって作品はいろいろな情報の集積であることがあらためて認識される。
この観点を具体的な作品に当てはめると、日本美術史の物語絵のジャンルで大きなまとまりを形成しているものに「伊勢物語」を題材にした作品群がある。そのグループは絵画、書、工芸に代表されるほか、彫刻や建築、芸能などにもこの物語との関連が見出せ、作品は質と量を備えた厚い層を形成している
日本美術史の重要な主題のなかには古典文学を典拠として絵画化した物語絵がある。典拠の代表は「源氏物語」と「伊勢物語」で、それぞれの物語絵も広く知られており、それらを思い浮かべる方も多いだろう。「源氏物語」や「伊勢物語」からは四季の行事や宮廷生活を舞台にした男女の出会いや恋にまつわる出来事などが物語絵の題材にされる。選ばれた出来事は、機微に触れ優美さ苦さが織り交ぜられて情趣に富んでおり、平安時代の貴族文化に関わる物語絵制作の典拠の双璧といえる。とりわけ「源氏物語」を題材にした「源氏絵」は現存数が多く、国宝をはじめとして展覧会や図版などで目にする機会が度々ある。
両物語の関わりをあらためて確認したい。「伊勢物語」の主人公と目される平安時代前期の在原業平(825〜880)は、天皇の孫で和歌に優れた貴公子である『古今和歌集』に載る業平の和歌からは、恋多き貴人であった業平の姿が伝わる。業平の人物像は、和歌を中心に編まれた「伊勢物語」のなかの主人公を介しても捉えられる。そのイメージは長年のうちに拡散され、現在でも平安時代を代表する人物として人気を博している。「伊勢物語」は、『古今和歌集』が成立する延喜5年(905)よりも少し前頃から10世紀後半にかけて徐々に章段が増していき、物語初段の巻頭には「むかし、をとこうひかうぶり(初冠)して」、最終段の125段の巻頭には「むかし、をとこわずら(患)ひて」までを本文とする内容が定着した。「伊勢物語」は「源氏物語」よりも早くに成立しており、「源氏物語」のなかの絵合巻には、絵合の場で競われる絵巻の一つとして伊勢語絵巻が登場している。「源氏物語」の記述は「伊勢物語」を題材にした美術の早い受容を知る手掛かりとなっている。
造形表現から見た両物語の関わりによって「源氏絵」を物語絵の花形とすると、「伊勢物語」を題材にした「伊勢物語絵」は作品数や知名度においては「源氏絵」に比べて脇役的なイメージが持たれているように思われる。出版物を比較しても、「源氏物語」が「伊勢物語」を凌いでいる。
「伊勢物語」を題材にした作品の特徴や意義の研究は、国文学史では本文や注釈書についての蓄積された先行研究があり、美術史による個々の作品研究も実績がある。こうした状況のなかで、筆者は国文学史の研究者で立ち上げられた伊勢物語絵の作品研究を行う研究会に参加し、国文学の研究者とともに15年余りにわたって国内、海外の絵巻や屏風などの主要な作品を科研費などの研究助成を得て積極的に調査してきた。その間、研究会メンバーの入れ替わりを経るなかで、その成果を研究会編として『伊勢物語絵巻絵本大成』(角川学芸出版 2007年)、『宗達伊勢物語図色紙』(思文閣出版2013年)、『住吉如慶筆 伊勢物語絵巻』(思文閣出版2019年)を出版した。これらの出版に続いて、研究会のメンバーのうちで日本美術史、住宅史、染織史の研究者を編者として、「伊勢物語」の造形表現に特化した書物を刊行する運びとなった。
本書は、国文学の研究成果と伊勢物語絵研究会での発表や討論などに導かれて、美術史の研究方法による造形表現へのアプローチから「伊勢物語」を題材にした主要な作品を選び、ヴィジュアルなデータを多く取り入れながら、この物語を題材とした作品群の全体像を見据え、造形の分野からこの物語の受容の広がりを考察する基礎的な内容をまとめることを目的にして刊行を目指した。これが本年5月に上梓した『伊勢物語 造形表現集成』(思文閣出版)の制作経緯である。この書物は、鹿島美術財団から令和5年度に出版援助をいただいたことによって刊行が実現できたもので、同財団の格別なご理解とご協力に感謝する次第である。
本書の構成の概略を紹介したい。対象とする作品は、先に述べたように「伊勢物語」を題材に鎌倉時代から江戸時代にかけて制作された美術全般を主にし、関連する彫刻や建築や庭園、芸能も含めている。「伊勢物語」を題材とする造形表現は複数のジャンルに渡り多様な様相を示している。広がりを見せる享受のあり方を包括的に示す構成にするために主要な作品を多く選んだ。作品解説は所蔵者である美術館、博物館の学芸員に執筆を依頼し、研究者にも協力を求めた。またコラムとして造形表現に関わる23件の個別テーマの論考を掲げた。字数制限の縛りはあるが的確な指摘や報告などを加えることができた。その結果、執筆メンバーは60名を超えることになったが、執筆陣による学際的な視点によって造形表現の特徴を捉えるという編集方針が反映できたことは本書の意義の一つとして挙げたい。業務との兼ね合いという制限のなかで協力をいただいた執筆者に感謝したい。
本書を特徴付けるもう一つの項目がモチーフ集である。「浅間嶽」から「童(子ども)」まで45項目を選択して、諸本に触れ、造形表現を簡潔に説明し、モチーフが導く造形イメージの構成要素を五十音順に整理して、作品理解の目安としたことである。この物語を題材にした造形表現を知る上でのヒントや、制作上の要点がどこに置かれたかを知るためのポイントとなる利便性の一端はモチーフ集にあると考えてこの項目を立てた。
さらに編者による個々の専門分野からの論考によって造形表現への最新のアプローチを展開させた。付録として本書の解説や論考に記載された技法・用語解説、造形表現の研究に関する主要参考文献を掲載し、そして伊勢物語絵の主な舞台も図版で紹介して、一般の読者にも関心を示していただけるように心がけた。
出版計画から刊行に至るまでの間に、出版事情などに合わせて構成内容や編集方針の修正があり、出版物としての全体構成が再検討されるなどの動きがあったが、それは本書に限ったことではあるまい。本書は執筆者をはじめ、作品について情報をお寄せいただいた方々や出版に関わったスタッフのご協力の結果である。「伊勢物語」の造形表現について考える際の基礎的な役割を担う書物として活用いただけることを願いたい。
(文・河田昌之)
著者・編者・監修 | 河田昌之 編者代表 |
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判型 | B5判 |
ページ数 | 432頁 |
定価 | 25,000円+税 |
ISBN | 978-4-7842-2033-5 |
発行日 | 2024年4月25日 |
出版社 | 思文閣出版 |