福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
本論文集は、同シリーズの他の巻と同様、読み応えのある多彩な論考からなり、今回は8篇が収録されている。近世イタリアを出発点としながら、時間と空間は自在に広がり、扱うジャンル、それぞれの作品が有する役割(機能)、そして各論考が人文学的知に提起する問題意識は実に多様である。主流と傍流、規則と混沌、古典(伝統)と奇想、理論と実践の間を振子のように方向を変えながら美の迷宮を辿り、時に険しい道を進みながらも、私たち読者は新しい知識と思考を得て、新たな世界が開ける爽快感を味わうことができる。
まずはボッティチェッリが描くダンテの地獄の迷宮である。漏斗状の地獄全図は最奥部まで降っていく構造だが、画家はあたかも絵巻物が層をなしているかのように、帯状に地獄の層(濠)を連ねている。ボッティチェッリによるダンテ『神曲』は冊子体であったと考えられ、全図の後は一葉に一歌ずつという形式で、地獄をめぐるダンテとウェルギリウスが描き出される。その際、ある一つの場面をクローズアップして表すのではなく、驚異的な異時同図法を駆使して一歌の全てを絵解きし、ダンテの体験をことごとく描写するのである。画家は時間を緩急自在に操り、一つの空間に複数の時間を存在させ、身体の一部を二重にするなど、現代のマンガにも通じる表現法を用いて、人物の方向転換や動きを巧みに表現する。著者はその手法を手際よく解説し、ダンテのテキストが持つイメージ喚起力に匹敵する、画家の繊細な線描表現の想像の力を私たちに示してくれる。
タブロー中心の近代的視形式とは異なる表現様式で描かれた中世のダンテの世界から、次に私たちが誘い込まれるのは、ルネサンス期に発掘された古代ローマ時代ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)である。ルネサンスの美術家たちは、土が堆積した迷宮の遺構に潜り込み、そこに古代オーダーとは対極の原理からなる装飾を見出した。著者は、アンドレ・シャステルの『グロテスクの系譜』を再読し、黄金宮殿から始まるルネサンス期のグロテスク装飾の展開について、従来とは別の系譜を捉えようとする。「空間の否定(無重力化)」と「様々な雑種の増殖」というシャステルが措定したグロテスクの二つの原理が、ルネサンスの美術家たちの合理的空間内の自然主義的様式に作用し、ミケランジェロのイニューディへと至る「装飾」と「絵画」の融合を見るのである。
古代の復興という側面から、ルネサンス期の複雑な占星術的表象という迷宮に入っていこう。芸術庇護者として名高いアゴスティーノ・キージは占星術に関心が深く、ヴィッラの一室の天井に自身のホロスコープを描かせたことで知られている。世俗の領域にとどまらず、ローマのサンタ・マリア・デル・ポーポロ聖堂キージ礼拝堂のクーポラにおいても、ラファエッロの下絵に基づく占星術的表象を実現させた。だがその図像表現は、中世以来の宇宙論とも、15世紀のイタリア聖堂内の数少ない天文学的表象とも異なり、七惑星と恒星天が階層をなさず、惑星神が天使と組み合わされるという、類例のないものになっている。著者は豊富な知識を操って当時の占星術的知の複雑な迷宮を辿り、フィチーノの『三重の生について』で語られるダイモーン魔術が展開する宇宙論的表象に私たちを導いてくれる。
壮大な宇宙論から、16世紀終わりのならず者が跋扈する物騒なローマに場面は転換する。北方を中心とするロマの図像伝統とは異なり、カラヴァッジョの描く《女占い師》のロマは、浅黒くも醜悪でもない、洗練された新しいイメージである。当時、ローマでは彼女たちを描いた絵画は珍しく、パトロンであるデル・モンテ枢機卿の興味対象でもあった喜劇(コンメーディア・デッラルテ)を通して画家は新しいロマ像を生み出したらしい。喜劇の役者のように、ロマである彼女自身が役になりきる姿を、画家はターバンや身体的特徴を改変しながら「写実的に」描いたのである。ロマに騙される客は、カラヴァッジョの「真実らしい」迫真的な写実的描写に騙される私たち自身を映し出す。画家の「リアリズム」の欺瞞的側面を、客を騙すロマの描写を通して見事にあぶりだしている。
ローマの街の喧騒を避け、厳かな聖堂内に進もう。カトリック改革期のローマではカラヴァッジョのリアリズムとともに、人々を信仰に導くため、法悦図像を取り入れた祭壇画が聖堂を飾った。バルベリーニ家の庇護を受けたピエトロ・ダ・コルトーナの《死にゆく聖アレクシウス》は画家が法悦表現を本格的に用いた初期作品である。著者はコルトーナの法悦表現の源泉を探り、テキストとイメージ資料の緻密な分析を通して、庇護者の元で画家自ら関わった演劇の仕掛け舞台と観客に感動を与える「悲喜劇」のアリアにたどり着く。コルトーナの聖アレクシウスは演劇的表現の優れた例として、盛期バロック時代の宗教画に求められた役割と舞台演出の効果の協働を証するのである。
聖堂のクーポラ(ドーム)は、神と結びつく重要な建築構造だが、その曲線はどのように決定されてきたのか。懸垂曲線(と放物線)をテーマに、その数学的原理の解明、構造力学的解決、作図法を含む建築への具体的応用、そして曲線の美学という、並行して(時に接近して)進む複数の展開を、著者は、ガウディから始めて、ポレーニ、フック、レン、グアリーニ、ブロンデルを経て、ガリレオの片持ち梁まで、その起源を求めて時間を遡及する。それによって、単線的な発展史ではこぼれ落ちてしまう「平行進化」を明るみに出す手法は鮮やかだ。実際の建設に応用する際の構造的合理性と、美的/感性的な表出との間を揺れ動く、芸術としての建築の本質を考えさせられる。
グランド・ツアーの目的地として外国人を引き付けていた18世紀半ばのローマへと時間を移動しよう。私たちは、イギリスでの風景画流行の火付け役となったリチャード・ウィルソンの知的表象の源泉を探る迷宮に誘われる。当時のローマでは、文芸協会アルカディア・アカデミーが文化・知の中核をなしていた。会員の定期会合が行われるボスコ・パッラーシオ(1725年にはジャニーコロの丘に設置された)は、カンパーニャの景観を臨む場にあり、そこには亡き会員(アルカディアの牧人)を記念する墓碑が展示されて哀悼と内省が促され、瞑想に誘われながら、文学の研究と新たな創作が行われた。ウィルソンがローマ滞在時に描いたクロード・ロラン風の風景画《カンパーニャの眺め》は、ニコラ・プッサンの《アルカディアの牧人たち》の哀歌的解釈と、アカデミーでのアポロ信仰(パルナソス)を重ねることにより、まさにアルカディア・アカデミーの理念を具現化していることを著者は明瞭に解き明かす。今は失われている風景画《アポロと四季》もまた、当時ローマにあったプッサンの《人生の踊り》の改変である。ウィルソンの画家としての野心やイギリスでの反響も興味深いが、18世紀ローマの文学と美術が交錯する場でのプッサン作品の受容史としても読み応えがある。
最後にイタリアから離れ、イギリスのカントリーハウスを訪れよう。アルカディア(理想郷)とそこに漂う哀愁は、ウィルソンを始め、イギリス人が(イタリアの地で育まれた)クロード・ロランの風景画に見出した特徴でもあり、それがイギリス人の感性に訴え、カントリーハウスを飾るクロード愛好の一因になったらしい。著者は、旅行記やガイドブックを丹念に紐解き、グランド・ツアー期に、絵画蒐集が単なる個人の嗜好から、次第にコレクション・ビルディングへと推移し、一般公開へと進んでいく様子を活写する。クロードの作品がイギリスに起こした文化連鎖反応――とりわけピクチャレスクの美学の誕生――とともに、18世紀イギリスでクロードと並んで人気が高かったラファエッロの作品が、多くの偶然によって売却されて海を越え、イギリスの威信と関わりながら、今日のナショナル・ギャラリーの貴重な所蔵品になる経緯もスリリングである。イタリアの伝統と文化が時空を越えて様々に作用する様子を改めて教えてくれるこの論考は、ダンテから始まった8つの迷宮を巡る旅の掉尾を飾るにふさわしい。
(文・望月典子)
著者・編者・監修 | 金山弘昌 責任編集・著 |
---|---|
判型 | A5判 |
ページ数 | 432頁 |
定価 | 6,000円+税 |
ISBN | 978-4-7566-2488-8 |
発行日 | 2024年1月25日 |
出版社 | ありな書房 |