公益財団法人 鹿島美術財団

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ミュンヘン中央美術史研究所との連携プログラム

2023年度海外派遣
第3回 ミュンヘン中央美術史研究所フェロー

 私は2024年2月から3月、ちょうど2ヶ月間ドイツのミュンヘンに滞在し、中央美術史研究所を拠点に研究を行った。研究所では日々、国内外から集まる他のフェローたちと言葉を交わしながら、美術専門書が豊富に所蔵された所内の図書館や、自分の考えをまとめ直すのにちょうどいい、こぢんまりとしつつも開放的なカフェテリアをふんだんに利用し、そしてときには市内の博物館や他都市に調査へ出かけるなど、またとない充実した時間を過ごした。

図書館、カフェテリアは開放的で居心地がいい

 私の訪れたタイミングで集まっていた、シュトゥットガルト、ハンブルク、ハイデルベルク、イタリア、アメリカ、ポーランドなど各地からのフェローは偶然にも全員が女性であり、年齢もそれほど離れてはいなかった。そのため、ライフプランとキャリア形成に関する女性特有のあれこれをおしゃべりしては、自分たちが多かれ少なかれ似た境遇にあることを共感し、励ましあったことが強く印象に残っている。また、期間中には一度、自身の研究に関する発表(ワークショップ)の機会を得られたが、その際にも研究所の教授陣とフェロー、そして外部からの聴講者を交え、互いに敬意を払いつつも率直な意見交換をできたことも忘れえぬ経験となった。研究環境は、誇張なしにすばらしいものだった。

ワークショップの様子

 そうした日々の生活もさることながら、これまで短期間の滞在でしか訪れたことのなかったミュンヘンについて、この街のスケールを体感的に知れたことは、私にとっては大きな収穫だった。というのも、そもそも私自身の研究テーマは、これまで行ってきたベルリンの博物館建築と装飾に関する研究を、あらためてミュンヘンのものと比べ相対的に考えるというものだった。中央美術史研究所の目の前にはまさに19世紀、レオ・フォン・クレンツェによってミュンヘンで初めて作られた博物館建築のグリュプトテークと、都市門であるプロピュレーエンのある国王広場が位置しており、私はこの光景を日々目にして生活していたのである。

国王広場(ケーニヒスプラッツ)とグリュプトテーク、プロピュレーエン

 やがてナチスの時代になって、この国王広場にはパウル・ルートヴィヒ・トローストが党本部の建築ふたつと「栄誉の神殿」を建てた。党本部建築のうちひとつが他ならぬ、中央美術史研究所として現在使用されている建物なのだった。地下鉄ケーニヒスプラッツ(国王広場)駅から地上に出て、プロピュレーエン、グリュプトテークを傍目に見ながら広場を縦断し、研究所まで歩くとわずか300歩、3分ほどだった。毎日のように歩いていると、その距離感、建物の大きさが身体化されていくようで、今でも手にとるように思い起こすことができる。

 晴れた日には多くの市民がひなたぼっこに集まる、このちょうどよい規模のかわいらしい広場のなかに、19世紀と20世紀の歴史が層のようなものをなしている。ミュンヘンは確かに、清潔で穏やかで安全で過ごしやすく、何の問題も抱えていないかのようにみえる街だった。しかし、こんなふうに時おり、今では土産物屋、現代美術館に使われている古い建築、人目から離れた場所で突然出くわした銅像、あるいは街なかの落書きなどにその「層」をみることがあり、そのたびごとに、この街の複雑さのなかから自身の研究がリアリティをもって迫り出してくるような感覚を覚えた。このような感覚は、月並みな表現ではあるがやはり、実際に現地を訪れ、対象を目にしなければ味わうことのできないものだろう。

かつてナチスによる「大ドイツ芸術展」のために建設されたトローストの建築は、現在も現代美術館「ハウス・デア・クンスト(芸術の家)」として使用されている

 このような経験も、推薦者となってくださった日本の先生方や鹿島美術財団のみなさま、ドイツでの受入教員の方々のご尽力あってのことで、感謝の念に尽きない。ミュンヘンの地で得られた鮮烈な印象や豊かな人間関係を励みとしつつ、今後も研究活動に邁進していきたい。
(文:三井 麻央)

研究テーマ カール・フリードリヒ・シンケルの様式選択に関する研究
―レオ・フォン・クレンツェとの比較から―
期間 2024年1月31日〜4月1日
派遣国 ドイツ連邦共和国
報告者 京都芸術大学 非常勤講師 三井 麻央
報告書 『鹿島美術研究』年報第41号別冊

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