公益財団法人 鹿島美術財団

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ミュンヘン中央美術史研究所との連携プログラム

2021年度海外派遣
第1回 ミュンヘン中央美術史研究所フェロー

 ドイツ行きの飛行機はガラガラ。研究滞在のためミュンヘンへ向かったのは、パンデミックがまだ日々の脅威だった、2022年2月1日のことでした。静かなミュンヘン空港に到着し、民泊サイトで予約しておいた「ジャン・マリー氏のアパート」に向かいました。これから二ヶ月間ここで下宿するのです。

 出迎えてくれたのは、ジャポネスクなハオリを着た小柄の年かさの男性。アパートの中は一定のサイズの紙箱が天井までうず高く積まれていました。聞けば、全て「わたしの写真作品だ」とのこと。一つ開けてみると、入っていたのは映画監督ロマン・ポランスキーの白黒のポートレイト。ジャン・マリー氏は往年の売れっ子肖像写真家であったらしく、当時はファーストクラスの飛行機でたびたびハリウッドに呼ばれて、数々の映画監督やスターの写真を撮っていたそうなのです。しかし今は写真家としての仕事はなく、民泊だけが収入源だとのこと。最近のミュンヘンは生活費が高すぎる、暖房費もろくに払えないとの愚痴を一通り聞き流し、ありがとう、おやすみなさい、と氏に告げて自分の部屋に戻りました。「一度ゆっくり時間をとって、全ての写真をみせてあげよう」と言ってくれましたが、わたしは次の日から資料収集や研究に熱中し、アパートに戻るのは毎日夜の10時過ぎ。結局最後まで彼の他の作品を見ることはありませんでした。

 ポランスキーの肖像を見たせいか、ホラー風味の夢をみて、浅い眠りを繰り返し、ぼんやりと最初の朝を迎えました。「お湯はなるべく使わないで」と貼り紙のある冷え冷えとした洗面所で歯磨きを急いで済ませ、ジャン・マリー氏のアパートを抜けだします。わたしの研究場所はどんなところだろう、少なくとも暖房はしっかり効いていてほしいと思いながら、地下鉄にのって中央駅まで行きました。

 中央駅から10分ほど歩くと、やけに威容のある建物が見えてきました。それもそのはず、ここは元ナチス党本部。入り口を入って右手の大階段には、かつてヒットラーの肖像が掛けられていました。現在、その場所には「中央美術史研究所」という看板が掛けられています。ドイツ屈指の美術史研究拠点です。ここが、今回のわたしの研究場所です。

 受け入れ担当のイリス・ラウターバッハ教授が待っていてくれました。研究所内を一通り案内してもらい、同僚全員にご挨拶。「グーテン・ターク、新しいフェローです、人形劇史を研究しています、よろしくよろしく」と繰り返しながら広い広い元ナチス本部をまわります。

 顔合わせが一段落して、わたしの研究室の鍵を受けとりました。さすが元ナチス本部というか、天井は高く、広々として、奇妙にも居心地は良いのです。暖房もしっかり効いています。

 同じ日からフェローシップをスタートしたスイス出身のサスキア・ケネーさんというルネサンス美術研究者と同室となり、さっそく意気投合して館内のカフェでおしゃべり。今回の研究滞在中、こうして他のフェローとコーヒーを飲みながらお互いの研究領域についておしゃべりする時間を毎日持てたことは、大きな収穫でした。何しろおなじ美術史と言っても、「フラ・アンジェリコの遠近法」から「監獄の建築様式」まで、まったくそれぞれの関心をもつフェローたちが世界中から集まって、ひとところに机を並べています。しぜんと耳学問もはかどります。

 金曜の夜には、自然とフェローたちで誘い合って、近くのビアホールへ。着いたばかりの2月の初めは屋内でちびちびと飲んでいましたが、滞在も終わりに近づいた3月下旬にはビアガーデンもオープンし、ぽかぽか陽気の中でグラスを重ねました。美術史談義も盛り上がります。良い仲間に恵まれ、資料も設備も充実し、研究面ではただただ楽しい二ヶ月間でした。

 ただ、滞在中に大きな出来事がありました。2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始したのです。中央美術史研究所の周りもにわかに騒がしくなりました。研究所のすぐ向かいはケーニヒスプラッツという広場で、反戦デモの会場です。建造物はウクライナ国旗の色にライトアップされ、毎週末人々が集まります。中央駅も、侵攻開始から一週間も経たないうちに全ての電子公告がウクライナ国旗に変わりました。この速さには驚きました。わたしの下宿先の家主であるジャン・マリー氏は、暖房代をケチるほどであったのに、なけなしの預金をはたいてボランティアのためにウクライナに向かいました。

 ミュンヘンの二ヶ月間の滞在は、研究上はとても実り多いものでした。しかしそれ以上に、戦争が始まったその直後にドイツの人々や社会が見せたこうした連帯の反応が、心に刻まれました。いままた戦争が始まり、パレスチナのガザ地区ではあまりに多くの犠牲者が出ています。ドイツも日本も、人権と平和を守り抜くために今すぐに、もっと積極的な働きかけをしなければならないでしょう。わたしはこれから、ミュンヘンで見た人々の人権侵害に対するきっぱりとした態度に勇気づけられながら、自身の研究にも取り組んでいきたいと考えております。
(文:山口 遥子)

研究テーマ パペットからフィグーアへ、人形からパペット
ー19世紀末から20世紀初頭におけるドイツおよび日本の人形劇の美学的位置づけの比較研究ー
期間 2022年2月1日〜4月2日
派遣国 ドイツ連邦共和国
報告者 日本学術振興会 特別研究(PD、東京藝術大学) 山口 遥子
報告書 『鹿島美術研究』年報第39号別冊 519~533頁

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