福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
本書が焦点を合わせるのは、世紀の変わる2000年頃の日本の美術界において、顕著な存在となった「おぞましい」少女表象である。その表現は一様ではない。嘔吐し、内臓が露呈し、身体の一部が切断された少女たち。動物と一体化するキメラのごとく、怪物化した身体もあれば、輪郭が曖昧になり、溶け出す姿で描かれる場合もある。また、屍体を思わせる生気のない肌であったり、見るものを射抜くような鋭い眼差を備えていたりと、造形や表現の特徴は作家によって異なる。いずれも、不穏な気配を醸し出し、不気味で禍々しく、グロテスクですらある。
このような、日本現代美術に登場した「おぞましい」少女たちはどこからきたのか、どのような意味を持っているのか。その芸術的価値を浮かび上がらせる本書の試みにおいて、著者が用いた方法は、大きく二つある。
第一に、フェミニズムとフェミニズム美学の理論である。男性(父)を中心に据えた精神分析理論を批判するジュリア・クリステヴァの「アブジェクト(=おぞましきもの)」の概念と理論を吟味、導入して、独創的な議論を展開する。クリステヴァは、アブジェクトに対し、これを嫌悪、忌避すると同時に、魅惑、誘引されるという人の反応、心の作用を「アブジェクシオン」と名付け、社会が忌避、棄却してきた女性(女性性)とその主体的言語の回復を目指した。これを美学に援用したのが、キャロリン・コースマイヤーである。コースマイヤーは、女性芸術家による自らの身体を活用した表現、フェミニズム・アートを、芸術的体験に寄与し、美的快をもたらす「美的おぞましさ」として肯定した。著者は、芸術を社会や日常に接続するものと考えるフェミニズム美学、アブジェクト理論を踏まえ、現代日本における芸術作品の少女表象に切り込んだ。
第二に、歴史的視座による「少女」と少女表象の位置付けである。近年の社会学、歴史学の先行研究が明らかにしてきたように、近代日本の家父長制社会は、生産活動が可能でありながらもそれに従事せず、妊娠・出産を前提とした教育を施される時間を過ごす女性を「少女」として重視した。「少女」という存在は、教育や家族といった社会制度に組み込まれるのみならず、常に管理と眼差しの対象として、様々な媒体を通じて語られ、また視覚的に表象された。その多くは男性によるもので、時代の要請に応じて変化し、受容者に応じた媒体の違いもあったが、基本的には女性を「客体」とするものである。そこで著者は、1980年代に隆盛した少女論のパイオニア的存在である本田和子の議論を、積極的に再評価する。本田の少女論は、家父長制の枠組みに組み込まれた「少女」という存在を否定せず、「宙吊り」の位置に置かれ、「ひらひら」と漂う彼女たちの声を掬い上げるものだった。これは、女性の社会進出や自立というフェミニズムの課題に逆行するものとして、当時、とりわけ女性の論客による批判に晒された。しかし著者は、本田の少女論をクリステヴァによるフェミニズム的試みの延長上にある挑戦と捉え直す。
以上のように本書は、まず、第一、二章において依拠する理論と方法を明らかにし、続く第三から第六章において各時代の言説、表象分析を具体的に展開する構成をとる。男性による表象を一括して退けるのではなく、「客体」あるいは「物体」として語られ、描かれてきた少女表象を、媒体や論者、画家の関心や背景、女性を含む享受者との関係性に踏み込んで、細やかに論じる(澁澤龍彦の少女論、中村宏、会田誠の絵画を取り上げる第五章)。また、理想に反する女性身体と物質(モノ)を用いることで、男性の欲望に従属する美的女性像に反発し、理性や精神を優位とする哲学に挑戦する、フェミニズム・アートとの関連性と違いを考察した(ヤナ・スターバック『先天性色素欠乏症と拒食症患者のための生肉ドレス』をコースマイヤーの解釈によって論じる第四章)。
同時に、2000年ごろから日本の美術界で目立つようになった、女性作家による「おぞましい」女性表象を、各章で取り上げ、分析と考察を丁寧に重ねていく。それらは、女性の生き方の多様性をめぐる認識と議論がようやく広がりつつある時代に、女性自身によって「社会とのズレ」が自覚され、葛藤や内面の苦しみに目を向け、曖昧で言語化が困難な感覚や心情が表現された数々の作品である。そうした感覚は、少女のアブジェクトと深く結びつき、「おぞましさ」を湛えた絵画に共鳴する観賞者もまた、自らのアブジェクト、少女性をみつめ、保持しようとする主体なのだと著者は結論づけた。
本書は、広く近代日本の社会構造と歴史を視野に入れ、社会的な権力構造と不可分な「芸術」の枠組みを問い直し、表現・創造主体としての美術家、および受容者のジェンダーの問題に深く切り込んでいく。このような視座と課題設定は、美術史学において重要性が認められながらも、未だ圧倒的に不足する女性美術家、女性表象についての研究に一石を投じ、多大な貢献をなしうるものであろう。
(文・池田忍 千葉大学大学院人文科学研究院名誉教授)
| 著者 | 山田萌果 |
|---|---|
| 判型 | A5判 |
| ページ数 | 313頁 |
| 定価 | 3,400 円+税 |
| ISBN | 978-4-7872-7483-0 |
| 発行日 | 2026年2月4日 |
| 出版社 | 青弓社 |
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