福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
20世紀を代表する巨匠の一人、パブロ・ピカソについては今日まで、様ざまな視点や多彩なアプローチのもとで膨大な量の研究書、啓蒙書の類が刊行されてきており、また世界各地で催された幾多ある展覧会をとおしても、複眼的な思考とマルティ・メディア的なこの「芸術の巨人」の足跡を明らかにしようとしてきた。しかも、そうした試みは果てしなく、これで終わりということがない。そのことはとりもなおさず、ピカソ芸術が、枯渇を知らぬ無尽蔵の泉であるからだろう。そうしたなか、「新古典主義の時代」(ピカソ作品全般に見出される「古典主義」と区別して、この一時代を便宜的にこう呼びたい)はどのような位置づけがなされてきたのであろうか。これまでの研究や出版、展覧会の多くは「青」から「ローズ」の時代、《アヴィニョンの娘たち》と造形革命のキュビスム、1920年代の後半から1930年代前半のシュルレアリスムと並走した一時代、《ゲルニカ》とスペイン内戦、つづく戦争の時代、さらには第二次大戦後に始まる長い晩年の旺盛な創作などに集中しており、「ピカソの新古典主義」は少なくとも21世紀を迎えるまで、それほど注目されてこなかったと言えるであろう。それはおそらく、ピカソと言えば、総じて革新的で破壊的な先入観念が付きまとうなかにあって、新古典主義という一時代はある意味で伝統的、復古主義的な第一印象があり、どこか曖昧で抵抗感のようなものがあったためと言えるかも知れない。
しかしながら、そうした保守的、ある種偏向したイメージは2017-2019年、パリのピカソ美術館が中心となりフランスとスペイン、イタリアやギリシアの各地でも特別展が企画・実現された一大プロジェクト、『ピカソ—地中海』(Picasso-Méditerranée 2017-2019)をとおして大幅に払拭されると同時に、ピカソ芸術の根源が神話的、環境的にも古代世界から連綿とつづく地中海の歴史、伝統、文明に宿ることが明らかにされたのである。その意味において2024年11月、博士学位請求論文(2020年、成城大学大学院文学研究科提出)をもとに上梓された塚田美香子氏の著作『ピカソの「古典」時代』は、このようなコンテクストにたつならば一層、極めて時宜を得た刊行であり、しかも内容的には有意義な、独自の位置を占める重要な論考となった。今後、我が国においてピカソ全般の「古典主義」、さらにはこの「新古典主義時代」を論じる場合、本書を避けては通り得ないだろう。
本書はその副題に「1914年~1924年 前衛と伝統が共存する創作の10年」とあるように、ピカソとブラックのキュビスム共同戦線が第一次大戦の勃発により断絶させられた頃より1925年、《ダンス(三人の踊り子)》(ロンドン、テート)をメルクマールとして変貌と破壊の新たな表現主義的スタイルに大展開し始める前年までの、ピカソのいわゆる「新古典主義時代(ネオ・クラシック)」を扱っている。著者自身もこだわっているように、この「新古典主義」あるいは「古典主義」といった呼称については研究者の間でもいろいろと議論があり、その定義はつねに矛盾や齟齬を来たしている。しかしそのこと自体、逆説的ながらもピカソ芸術のこの10年間について、かつて書評者が「多様なるものの融合」と図録エッセイで形容したところの特質を物語っているだろう(『ピカソ・クラシック 1914-1925』展、上野の森美術館、2003年)。そんなアンビィヴァレントな難しさを本著者は副題において、「前衛と伝統が共存する」と適切に定義したのであり、事実、総合的キュビスムの造形語彙は消え失せることなく、その完成に向けて同時並行的に現れて我われを戸惑わせるのである(ただ同論考では、「前衛」が「伝統」に比して深く言及されていない点は惜しまれるが、本書のテーマ設定にとってそれが限界であったのだろう)。同様に学位請求論文に際して、塚田氏が主題目を、「ピカソのモダニズム的古典主義」(下線引用者)としたところにもアンビィヴァレントな難しさは窺えるであろう(副題は本書と同じである)。
このように一筋縄ではいかないピカソの「新古典主義」の時代を、塚田氏はどう論じていったのか。まずは大きな流れを概略した後に、本書の構成に沿って要約してみよう。
大戦の勃発とほぼ同時に現れたアングル流リアリズムへの回帰、総合的キュビスムからそれへの背信と非難された写実的スタイルへの転向、バレエ・リュスとの宿命的な出会いとイタリア旅行、ローマやポンペイを訪ねて生(なま)の古典古代美術との初めての邂逅、バレエ団に参画しての身体美の再発見や舞台を模したプロセニアム的画面構成、オルガとの結婚を契機に始まる上流階級との交遊、パリの高級街、ラ・ボエシー通りのアパルトマンでのブルジョワ的な生活と優雅で上品な室内空間。一方、1920年代を迎えてからは徐々に、デフォルメや誇張を重ねたピカソ一流の古典主義的様相を濃くしていくと共に、思索的、内省的なムードに支配されていく。以上がこの10年間の主たる流れであるが、本書では1910年代後半の活動よりは1920年代になってからの制作に重きが置かれており、特に1917年に始まるバレエ・リュスとの出会い、そこからのテーマやスタイルの変化、舞台美術やバレエ・ダンスからの影響に関しては多くは言及されておらず、今後の研究が待たれるだろう。
本書は全5章からなり、序章で問題提起と研究の目的、その方法論を解説した後、第I章では肖像画や水浴図におけるアングルの影響を中心に、第II章では地中海文明、とりわけ古代ギリシアの陶器画にピカソ作品のソースを探し出したところに新知見があり、さらに第III章において、母と子(=聖母子像)のモティーフにラファエロやレオナルドといったイタリア・ルネサンスとの親縁性を見出していく。第IV章では、1920年代の初めから認められるようになるメランコリーの図像に着目し(妻オルガとの夫婦関係が投影された)、そのルーツや意味表象を探り、最後の第V章において、クラシックとはいえ単なる優美さに甘んじることができない、ピカソならではのデフォルメや誇張表現をイタリア・マニエリスムとの関連で読み解いていく。
さらに補論として、「バラ色の時代」の末期に見られる古典的傾向(1905-1906年)をアルフレッド・バーに倣って「第一期古典時代(The first “classic” period)」(Picasso. Fifty Years of his Art, 1946)と呼び、ピカソ総体としてのクラシック問題を補完している。しかしながら私見では、ピカソの全画業を通覧してみるならば、この一時期だけをピカソの古典主義「第一期」と呼ぶのにはいささか無理があるのではなかろうか(バー以降で、この時期を「第一期」古典主義と呼ぶ研究者はほとんどいない)。というのも、例えば1930年代の銅版画連作『ラ・スイット・ヴォラール』においても、明らかに古典主義的で優美なフォルムに復帰しているからである。従って本書で扱う10年間を、あえて「第二期」古典時代と呼ぶ必要もないのではないか、というのが書評者の個人的な見解である(それと共にこの一時代に対して、「古典主義」とか「新古典主義」といった呼称も近年ではあまり使用されなくなっているようだ)。
本研究の眼目は、序章において、「ピカソがキュビスムから古典へ回帰した意図について問う」(19頁)、そのために「約10年間に亘る時代の制作姿勢に着目し、ピカソが創作の発想源としてどのような古典古代の美術を参照していたのかを提示して、それが如何にピカソの作品に取り入れられているのかを解き明かしていく」(5頁)と明言しているように、フォルムに対するイメージ・ソースの徹底的な探究である。その姿勢は全編をとおして一貫しており、ここでは紙幅の制約上、いくつか特筆すべきところだけを取り上げておきたい。
アングルは、1905年のサロン・ドートンヌで《トルコ風呂》が特別展示されて以来、ピカソにとっては生涯、セザンヌと並ぶ敬愛すべき巨匠、規範にしてモデル(手本)であった。しかしそれ以前、その最初の出会いは1904年4月、パリ定住に向けてバルセロナからの鉄道の旅すがら、アングルの郷里モントーバンで列車を乗り換えた際の出来事であった可能性を塚田氏は指摘している。その真偽はともかく、1906年夏のゴズル滞在中や新古典主義の時代、《水浴の女たち》(1918年夏、パリ、ピカソ美術館)をはじめ水浴図や肖像画など、多くの作品にアングルの教訓が活かされていた事実が本書では、その理由や背景などと共に解き明かされていく。さらにアングルを介してピカソが古代美術に導かれるという着想も、今後の研究の可能性を示唆していて興味深い(以上第I章)。
ピカソは、22歳で芸術と喧騒の都パリに定住し始めてからというもの、生来の自分を取り戻すために地中海世界との交感は不可欠なものであった。ピカソの年譜をみれば明らかだが、パリから北への移動はあまりにも少ない。南へ、母国スペインへ、という郷愁のごとき憧憬が無意識のうちにそうさせたのであろう。何か新しい挑戦や実験を企てようとするとき、カタルーニャ北部から南フランスにかけて、地中海沿岸地域での逗留が契機となっているケースが少なくない。ヴァロリス、カンヌ、ムージャンなどを舞台に暮らす第二次大戦後、晩年のピカソについてはもとより、キュビスムの時代や1930年代の制作に関してもそう言えるであろう。その意味では第II章の題目、「ピカソと地中海文明」は古典主義の時代に限らず、「青の時代」以降、すべての時代に通底する霊感源、活力と再生の泉であった。とはいえ、古典古代の美術や神話物語の伝統が今なお生きつづける地中海世界は、本書においてもっとも本質的な問題を孕むトポスであろう。著者による独創的な着眼点は、ピカソが描く図像や身振りを古代ギリシアの陶器画に見出し、それをさらにアングルと関連付けて解釈するところである。従来の研究においては戦後、ヴァロリス時代のセラミック制作に際して古代ギリシアのそれとの関連が指摘されることはあったものの、新古典主義時代の作品において論じられることはほとんどなかったのではないだろうか。
第IV章では、1920年代を迎えてからの妻オルガを中心とした肖像画に特徴的な、思索に沈むメランコリー(四大気質の一つである憂鬱質)のポーズについて、図像学的な伝統の再検証と新たな伝記的資料を根拠として、ピカソとの結婚生活の破綻というこれまでの通俗的な見方を超えた試論を展開している。新たな伝記的資料とは2017年、パリのピカソ美術館で開催された『オルガ・ピカソ』展において、それまで秘匿されていた書簡(コクロヴ家の一族からオルガへの)をはじめ写真や素描類が初公開されたからである。オルガは「ロシア将軍の令嬢」(ペンローズ『ピカソ その生涯と作品』)として知られてきたが、本当はニジィン生まれのウクライナ人(当時はロシア領)である。一家は陸軍工兵隊大佐の父ステパン・コクロヴの仕事の関係からペトログラード(現サンクトペテルブルク)に移住したため、オルガは同都のバレエ学校に通うことになった。ところが1911年、オルガはバレエ・リュスに入団したため、一度だけ帰国して家族を訪ねることはあったものの、1915年以降は二度と再会を果たせなかった。オルガの父や兄弟たちは反革命の側、共和制派の白軍に参加し、革命後のロシア内戦(1918-1922年)の混乱に翻弄された犠牲者である。特にソヴィエト連邦が誕生(1922年)してから、ウクライナはコクロヴ家にとって安住の地とはならなかった。
祖国から届く実家の不幸な報せのためにオルガの孤独は一層募り、時には悲愴なものとなっていったらしい。そんななか、兄ウラジーミルからの手紙の一節、「今日、わたしはシチューキン美術館〔旧トルベツコイ宮殿〕に出かけ、ようやくあなたのご主人〔ピカソ〕の絵を観ることができました。それらの絵はなんと三室も占めていたのですよ!」(1925年8月25日)と記されていて興味をそそる。とはいえ、塚田氏も紹介しているように、オルガの許に残された初公開の手紙類を丹念に読みこめば、オルガの哀しみは、夫ピカソとの関係だけがその原因ではなかったことが理解されよう。母リディアからの次の一文はその意味において象徴的だ。「人生ってこうなの。人生は苛酷なものよ。それが神の思し召しかしら」(1920年7月6日)。オルガのメランコリーはこうして深まり、ピカソの画面をとおしてヴィジュアルにそのことが語られている。
この時代のピカソ作品をとおしてもっとも際だつのが、いわゆる「古典主義」という言葉から一般に想像される「優美、調和、均衡」といった古典的理想美からの逸脱、乖離ではなかろうか。最後の第V章は、そのことを解き明かそうとしており注目される。著者はその点について、晩年のミケランジェロの彫刻をはじめポントルモ、ブロンズィーノ、フォンテーヌブロー派といったいわゆるマニエリストたちの身体表現やデフォルメとの比較をとおして、ピカソはそこからの超越と幾何学的な思考により新たなスタイルを目ざしたのだと結論づけている。
こうして本書はピカソの新古典主義への回帰が、「行き過ぎたキュビスム手法からの脱却と、現実や人間の形態に執着するピカソのレアリスム的な姿勢」に起因するとし、それは単に「写実主義や古典礼讃ではなく、モダンアートの最前線に立つ画家として過去の美術との対話に踏み切るためであり、絵とは何かを問うための芸術史の再検証という姿勢であった」(いずれも249頁)と最終的に洞察したのである。これは、塚田氏がピカソ・クラシックについて、積年の研究をとおして逢着した純粋にして率直、明快な言葉であり、我われとしても傾聴に値する貴重な見解であるだろう。
塚田美香子氏については個人的に跡見学園女子大学の学部時代、それからブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)学芸員の勤務を経て成城大学大学院での研鑽、そしてインディペンデント・スカラーとしての活動をつづけながら現在に至るまで、書評者はその真摯で、探究的で、忍耐強い研究態度を見守ってきた者の一人である。本書が成立したのはそうした不断の努力と変わらぬスタンスの賜物であり、パリ、ピカソ美術館やモントーバンのアングル美術館をはじめ世界各地を訪ねて美術館や図書館でのピカソ関連のアーカイヴを踏査しての成果である。同氏のピカソ・クラシックによせる人並ならぬ情熱と飽くことなき探究心は称賛に値するだろう。
(文・大髙 保二郎 早稲田大学名誉教授)
| 著者 | 塚⽥美⾹⼦ |
|---|---|
| 判型 | A5判 |
| ページ数 | 300⾴(うちカラー4⾴) |
| 定価 | 15,000円+税 |
| ISBN | 978-4-8055-0990-6 |
| 発行日 | 2024年11月25日 |
| 出版社 | 中央公論美術出版 |