福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
美術館におとなしく並んでいる「作品」が西洋美術の全容ではない。とりわけ18世紀以前に関して、権力者が主催するエフェメラルな(つかの間の)行事の意義は計り知れないものがあった。このようなことは、美術史の基本知識ではある。
しかし、それでは、数々の名高い行事において美術はどのような役割を果たしたのか、概説的な知識以上に説明できるのかと問われると、それは難しい。最大の理由は視覚的な記録が限定されていることにある。さらに、背景理解に多大な労力が必要であることも大きい。専門研究を参照するにしても、前提知識の複雑さは、専門外の人間を容易には寄せつけない。結果として、自分自身が深く関心を持っている時代・地域はともかく、複数の時代・地域について、高い水準で見通しを得ることは困難となる。
本書の素晴らしい点は、多様な時代・地域を取り上げた七つの論文を通して、宮廷が主導したヨーロッパの祝祭について、解像度を一気に上げてくれることにある。気鋭の研究者たちによって、政治の状況や人間関係が明瞭に整理され、制作・受容の文脈が明快に提示されている。白黒かつ小型ではあるが、図版も潤沢である。詳細な註により、どのような資料が残されているのか、確認することもできる。全体を通読すると、各論文がネットワークとなって、ヨーロッパ圏内の緊密な交流や伝統の継続性も見えてくる。
第Ⅰ章(今井澄子)は、ブルゴーニュ公シャルル突進公とイングランド王の妹マーガレット・オブ・ヨークの婚礼と祝宴(1468年)を取り上げ、ブルゴーニュ公国の「豪華」を活写する。ブリュージュ入市の行列を迎え、結婚を寿ぐ活人画が上演された。祝宴での余興や騎士道的なトーナメントでは、両国の同盟と新郎新婦の美徳が称揚された。ブルゴーニュ名産のタピスリーもその一翼を担う。同時代人を驚倒させた宴の政治的背景・ブルゴーニュ公国の伝統が説かれる。
大画面かつ持ち運び可能なタピスリーは祝祭装飾の中心アイテムだが、祝祭の記録媒体でもあった。第Ⅱ章(田中久美子)は有名な《ヴァロワ・タピスリー》を対象とする。フランス王アンリ二世はまさに祝宴の馬上槍試合で不慮の死を遂げた(1559年)。宗教戦争に突入したフランスで、未亡人カトリーヌ・ド・メディシスは政治的安定を願い、新旧両派の宥和を賭けて、戦乱の合間に絢爛豪華な「華燭の祝宴」を開催した。これらの祝祭を記録した《ヴァロワ・タピスリー》8点の読解によって、祝祭が果たした政治的役割が理解される。
第Ⅲ章(楠根圭子)は、フェリーペ四世の時代に建設されたブエン・レティーロ宮を対象としている。現在ほぼ残されていないこの離宮だが、膨大な美術品が持ち込まれ、いわば美の殿堂となっていた。さらには総合文化施設的な機能を担い、演劇が演じられ(ベラスケスを含む宮廷人たちが舞台に上ることもあったという)、祝典の場ともなった。この時期のスペインでは、祝祭の視覚的記録を残すという慣習が確立していなかったが、情報の残っている祝祭の中から1637年の事例が紹介される。
美術品が集められた恒常的な空間を「絵画の祝祭」と捉え、オーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルムのイタリア絵画コレクションを論じたのが、第Ⅳ章(木川弘美)である。ここでは、視覚的記録という問題が前面に打ち出される。画廊画、図版入りカタログ『絵画劇場』(1660年初版)によって、大公の大コレクションはヨーロッパ各地の宮廷・美術愛好家に発信されることになった。これらを担ったダーフィット・テニールス(子)の活動から、宮廷との関係の中で、社会的上昇を狙う意欲的な画家の姿が浮かび上がる。
第V章(新保淳乃)は、祝祭の華、ローマ・バロックである。国際政治の中で中立性を保とうとする教皇庁の意向の下、各国のライバル関係が、いかに祝祭に反映するのか、具体例を通して示される。中でも1662年に行われた二つの王太子誕生記念祝祭(フランス、スペイン)が比較される。ベルニーニがスペイン広場からトリニタ・ディ・モンティへの斜面を、「ジャック」した様子を記録した銅版画を目にしたことのある人は多いと思うが、この作品に含まれた厖大な情報が解凍され、ローマの祝祭の豪奢に存分に浸ることができる。
ローマと並ぶバロック的祝祭の拠点がヴェルサイユだが、第Ⅵ章(望月典子)は、ルイ一四世の表象が、神話の世界から現実の世界に変化していく過程を明晰に説く。ルイ一四世の親政開始後、大規模な三度の祝祭がヴェルサイユで行われるが、後半二回は、軍事的成果の記念である。最後にあたる1674年の祝祭では、花火が打ち上げられる中、島に浮かぶオベリスクの台座には、オランダ戦争においてライン川を渡るルイ一四世の姿が輝いた。「ライン川渡河」は、「鏡の間」、そしてパリのサン・ドニ門にも刻まれ、政治的な存在となった王の姿を永遠化することになる。
第Ⅶ章(金沢文緒)は18世紀ザクセン宮廷の祝祭を論じる。ザクセン選帝侯公子フリードリヒ・アウグスト二世と神聖ローマ皇女マリア・ヨーゼファの結婚式(1719年)は、1か月の長期間にわたった。その記録の出版は未完には終わるが、結果的に視覚的資料が豊富に残った。この祝祭には、ヨーロッパの宮廷の伝統が散りばめられ、ヴェネツィア総督御座船にならった船をエルベ川で再現することまで行われた。一方で、ザクセンの特殊事情からトルコ祭にも力点が置かれたことが示される。
本書がカバーするのは15世紀から18世紀初頭だが、この間、結婚や外交によって結びついたヨーロッパ各国の宮廷が共通する価値観を育み、祝宴を通じてそれを再確認していった様相をたどることができる。各論文はそれぞれに充実したものでありながら、さりげなくお互いをリレーして、有機的なつながりを形成してもいるように思われた。美術史の専門家に限らず、ヨーロッパに関心を持つ方々にぜひ通読をお勧めしたい。
(文・吉田朋子)
| 著者・編者・監修 | 望⽉典⼦責任編集・今井澄⼦、⽥中久美⼦、楠根圭⼦、⽊川弘美、新保淳乃、望⽉典⼦、⾦沢⽂緒著 |
|---|---|
| 判型 | A5判 |
| ページ数 | 326頁 |
| 定価 | 5,000円+税 |
| ISBN | 9784756625953 |
| 発行日 | 2025年10月1日 |
| 出版社 | 株式会社 ありな書房 |
| 賞・書評など | 図書新聞 2025.11.15. 評者:吉田朋子 |