福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
本書は、印象派を経験した後、近代化社会の矛盾に批判的な眼差しを向け「ユートピア」を夢見たポスト印象派の創造的思考を紐解きながら、美術史におけるその位置付けを再定義することを目指した。16名の研究者が参加した論文集である。
「ポスト印象派(Post-impressionists)」という言葉を最初に使ったのは、1910年、ロンドンのグラフトン画廊で、「マネとポスト印象派」展を企画して、マネ(Édouard Manet, 1832-1883)を起源とするセザンヌ(Paul Cezanne, 1839-1906)、ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh,1853-1890)、ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903)等の新しい絵画の動向を紹介した、画家で批評家のロジャー・フライ(Roger Fry,1866-1933)であった。フライは、彼らの革新性を、「デザイン(design)」の追求と共に、それによって実現される「表現(expression)」に見出した。翌年、ハインド(Charles Lewis Hind ,1862-1927)は、『ポスト印象派』を刊行し、印象派までの絵画が「再現(representation)」を目標としてきたのに対して、ポスト印象派は「表現(expression)」という新しい目標を掲げた一派だと定義した。
その後、ジョン・リウォルド(John Rewald, 1912-1994)が、実証主義の立場から調査を重ねて、画家達の活動史や交流史を明らかにした『ポスト印象派』を刊行して以降、「ポスト印象派」という概念は、印象派の後に1880年代半ば頃から世紀末まで展開した様々な運動(新印象派、ポン=タヴェン派、ナビ派、象徴主義、素朴派など)を総称する言葉として使われてきた。しかし、「ポスト印象派」という漠然とした概念によって多種多様な主義主張を括りながら、それぞれの具体的活動が明らかにされるだけで、その芸術論的思想的連帯に関しては、フライやハインドの規定を越える議論がなされてきたとは言い難い。とりわけ、ポスト印象派の起源となった画家達、すなわち、印象派を経験した後に印象派を否定して新しい道を切り開いていった狭義のポスト印象派(セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン)の連帯に関しては、これまで全く論じられてこなかった。彼らが、印象派から区別されるには、単に3人とも印象派を経験した後にそれぞれ独自の表現を開拓したという共通性を持つだけではなく、何らかの<集団美学>を共有していた事が想定される。とすれば、それは<ユートピア芸術論>ではなかったのか?という問いから本書は出発する。
以上の問題提起から出発して、本書は、全2部から構成されている。第1部では古代からポスト印象派以前までの伝統的ユートピア表象を検証し、第2部のポスト印象派のユートピア表象の原型や起源を探った。第2部ではポスト印象派におけるユートピア表象を様々な画家(シャヴァンヌ、ゴーギャン、セザンヌ、ファン・ゴッホ、シニャック、ピサロ、ピカソ、マティス、ローランサン)を事例として解き明かした。また、各執筆者が分析の切り口にした視点を四つのグループ(「記憶と郷愁」、「アナーキズム」、「自律性と現象学」、「エコーとデザイン、装飾、ジェンダー」)に分類することで、ポスト印象派が伝統から抜け出て踏み込んでいった新たな段階を明らかにした。序論では各論考内容を踏まえて、ポスト印象派が<集団美学>として共有した<ユートピア芸術論>を新しい<モダン・アート論>の可能性として提唱した。
(文・永井隆則)
| 著者・編者・監修 編者 | 永井隆則 |
|---|---|
| 判型 | A5版 |
| ページ数 | 468頁 |
| 定価 | 6,800円+税 |
| ISBN | 978-4-88303-616-5 |
| 発行日 | 2025年7月31日 |
| 出版社 | 三元社 |