福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
美術史とは何か、東洋とか何か——何度でも繰り返し問い直されるべき問いの数々に、ペルシアという視点を加えて洞察した魅力的な書物が、ここに誕生した。本書は、2023年に東京大学に提出された博士論文が、一般読者にも広く向けて刊行されたものである。著者は長く日本に留学し、ペルシア語、日本語、英語を自由に駆使して、驚くほど多くの資料を踏査してこの研究を完成させた。極めて厳格な実証研究だが、その実証が極まる果てに「東洋美術とは何だったのか」について再考を迫る、従来言説の鮮やかな更新に読者は立ち会うことになろう。
著者はこの複雑な歴史的経緯と言説の形成を解きほぐすために、主に三点の新しい視点を導入する。第一は、日本における「東洋美術史」の形成を探るにあたり、欧米と日本におけるペルシア美術に関するそれぞれの記述の変遷を徹底的に調べ上げること。第二は、ペルシア美術を記述し論じていた主体を、狭く「美術史」にのみ求めず、建築学、考古学、歴史学から美術市場、学術助成団体におよぶ範囲に調査を広げ、新事実を多く発見したこと。そして第三には、ペルシア美術史において、サーサーン朝に焦点を当てることによって、ペルシア美術をめぐる日本とヨーロッパの学術的な相互作用の様相を初めて描き出したことである。そこには、1935年に国名変更されたイランにおける、古代礼賛を特徴とするナショナリズムのイデオロギーもまた絡んでいることが、同時に意識されている。以上のように多国籍にわたる学術界・美術市場・外交などについて、歴史的に厳密な実証が積み重ねられているのである。
本書は二部構成——以下の様に構成されている。
序章
第Ⅰ部 サーサーン朝芸術の受容と「東洋芸術」の形成
第1章 美術史・建築史における東西の枠組みとペルシア
第2章 伊東忠太とサーサーン朝の芸術
第3章 明治大正の建築界における「東洋芸術」
第Ⅱ部 まなざしが交差する地点—— 展覧会・博物館におけるペルシアと「東洋」
第4章 1920年代日本の美術商とペルシア美術工芸品展
第5章 黒板勝美のペルシア旅行と東京帝室博物館の復興
第6章 啓明会創立十年記念展覧会にあらわれるペルシア観
終章
著者は本書のこの中心的課題を解くための重要人物として、建築家・建築史家の伊東忠太(1867-1954)を取り上げる。伊東忠太については従来、主に建築学分野での研究が進められてきたが、東西文化交渉史の中に初めて彼を大きく取り上げたのは井上章一『法隆寺への精神史』(1994年)である。井上は同書で、伊東が1893年の「法隆寺建築論」において日本をギリシャ中心主義的な世界建築史の中に組み込む企図を詳細に論じたが、モハッラミプール氏はその業績を受けてさらに、ギリシャではなくむしろペルシアとの関係で伊東を新しく読み直す重要性を提唱する。そして《四騎獅子狩文錦》(法隆寺蔵)の文様起源が、サーサーン朝であったことを当時認識した伊東忠太こそが、日本における「東洋美術史」の言説形成に決定的な役割を果たしたと見定めたのである。本書では伊東忠太の活動を中心的に据えることによって、彼と交流の深かった建築家の塚本靖や関野貞、歴史学者の黒板勝美、美術行政家の正木直彦、美術史家の瀧精一、田辺孝次(1890–1945)、矢代幸雄などが取り上げられる。そして彼らが積極的に関わった美術出版、美術展や学術講演会、さらには同時代のペルシア美術関連商会の活動などが有機的に詳述されることによって、徐々に形成されていった「ペルシア」観および「東洋美術」観の歴史的意味が明らかにされていくのである。
このように「東洋美術」を語る上で今後決して素通りすることが出来ない浩瀚な書物の出現を、読者と共に喜びたい。
(文・東京大学大学院教授・今橋映子)
著者 | ザヘラ・モハッラミプール |
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判型 | A5判・上製 |
ページ数 | 430頁 |
定価 | 6,800円+税 |
ISBN | 978-4-8158-1182-2 |
発行日 | 2025年3月10日 |
出版社 | 名古屋⼤学出版会 |